20191005 第62回集いを開催致します

米中対立の中の台湾総統・立法院選挙


来年1月に迫っている台湾総統選。香港で起きた「逃亡犯条例」改正案への大規模デモが再選を目指す蔡英文総統の追い風となっていると言われています。一方、経済戦争とも言われる米中の対立が先鋭化する中にあって、トランプ政権は台湾への戦車やミサイル等の武器売却を承認しました。

 

台湾及びアメリカ現地で取材をされてきた酒井亨准教授により講演頂きます。

 

なおサブスピーカーとして、当事務局の近藤副代表により平成20年度から61回開催して来た日本と台湾を考える集いのエピソードについてご紹介致します。


講師略歴<Wikiペディアから>

 

金沢大学附属高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、台湾大学法学研究科修士課程修了。

大学卒業後、共同通信社記者。退職後は台湾に移住し、民主進歩党系シンクタンク「新境界文教基金会」に勤務する。

2010年度後期神戸大学大学院国際協力研究科客員教授。

2012年9月、金沢学院大学経営情報学部准教授

2018年4月、公立小松大学国際文化交流学部准教授。


講師著書

入門編から台湾を深く理解する専門編まで台湾関連の著書を多数執筆。


開催日程等

開催日程:2019年10月5日(土)

開始時刻:13:30〜17:00(13:00受付開始)

参加費: 1,000円(一般)

                 500円(学生)

      無料 (留学生、ワーホリ、高校生)

定員:  60名(先着順)

主催:  日本と台湾を考える集い事務局

     e-mail:  t.forum.kansai@gmail.com             

       facebook:  日本と台湾を考える集い

開催場所

場所:キャンパスプラザ京都4階第4会議室

住所:京都市下京区西洞院通塩小路下る東塩小路町939

交通:京都市営地下鉄烏丸線

   近鉄京都線

         JR各線「京都駅」下車

         徒歩5分 





 お申し込みはコクチーズから!



参加申込みは↑

主催:日本と台湾を考える集い事務局

https://tsudoi-jptw.jimdo.com/

 

日本と台湾を考える集いは日台の相互理解の促進をめざし、関西を中心に活動をしている場です。

日台の歴史・政治・文化等幅広い課題を取り上げ、学びの場として集いを開催しています。

連絡先:090-3466-2263 (杉中

 

集いでは運営のお手伝いをしてくださるスタッフを募っております。

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20190803 第61回集いを開催致しました!

むかし「日本人」いま『台湾人』(発刊に寄せて)

最後の日本語世代が「日本人」として生きた時代を、今『台湾人』として振り返る


今回の講演は日台交流のルーツを知る貴重な講演となりました。その講演録をご本人の許可を得て当HPにUPさせて頂きました。

当講演録は講演頂きました内容の要約で、お話頂きました個人的体験やエピソードの詳細は省略させて頂いておりますが、日台交流の歴史的な理解を深めるには充分な内容と思います。皆様ぜひご一読ください。

 

また、更に詳しく理解を深めたい方は講師が編著者として出版されております『むかし「日本人」いま『台灣人』(2019年7月8日初版発行)』をお買い求め頂ければ、幸いです。この本をもとに日台交流のルーツ巡りをテーマにした台湾旅行もまた新たな台湾の発見に繋がるかもしれません。


講師略歴

*ご出演されている「湾生回家」のプロフィールから

 

昭和12年(1937)36日生まれの78歳。花蓮港瑞穂生まれ。

幼少期に花蓮港上大和(現花蓮県光復)へ移住。父親が瑞穂の警察署に勤める警察官であった。鳳林国民学校に通学。2年生の時に花蓮港小学校へ転校。3年生の時に終戦を迎え、昭和21年4月に花蓮港から引き揚げ鹿児島港から上陸している。現在は奈良県奈良市に暮らし、定期的に花蓮でロングステイをしている。将来的には花蓮に移住をしたいとも考えている。

 

ドキュメンタリー映画「湾生回家」ご出演


1.30人余の日本語世代にインタビュー・・・出版のいきさつ

 2年前のこと、ある日本語世代の台湾の友人が来日。その歓迎の宴で、彼を共通の友とする3人と知り合い、この「集い」に勧誘、参加するようになった。以来、顔を合わせるたびに、これまで台湾の友人から聞かされてきた日本統治時代の体験をなんとか記録に残せないか、という話が出ていた。日本統治時代を生きた「日本語世代」はすでに80歳を過ぎ、年々少ない存在になりつつある。台湾の共通の友人も、はや87歳、あれこれ議論ばかりしている場合ではない、この際4人で本にしてしまおう、ということになった。

   

   早速、企画書を作成、趣旨に賛同し日本語を話せる方を台湾の友人・知人に紹介していただき、インタビューを始めたのが昨年の6月。紹介されたのは40名を超えるが実際にインタビューしたのは30名余り。

   しかし、会ってみると、思い出すことがわずかで同じことを繰り返すばかりの方、認知症が始まっていて話がちぐはぐな方、一人と思っていたら仲間の日本語世代が次々にやってきて、思い思いに勝手に話しさっさと帰っていく方、中には知っている日本語をまくしたてるだけの長老、といった、いかにも台湾人らしい? ゆるくて大らかな雑談会に終始し、苦笑するしかないケースも少なくなかった。

   

    その結果、本にご登場いただいたのは20名となったが、収録に至らなかった方々も巻末にお名前を掲載しただけで喜んでいただき、有り難く感謝するばかりである。

 

 本書は「座談会」と「個人的体験」の二部構成となっている。各自の話には重複する事柄も少なくないが、それは各人が同じことを思い、認識していたことであり、事実を検証する意味であえて省略しないこととした。

   なお、編著者に付した「梅桜校友会」なる会名の梅は台湾の国花、桜は日本の国花から取ったものである。本書は、当初、4人で企画制作を推進したものであるところから便宜的に「梅桜交友会」なる名称を冠したもので、特に実体があるわけではない。

 

2.なぜ「日本語世代」の個人的体験を残したいと思ったか?

 私は昭和12年(1937年)に東台湾の瑞穂で生まれた湾生。父親は農業専門学校を出て単身台湾に渡り、警察官となる。花蓮、瑞穂、鳳林、萬栄に勤務ののち兵役に就く。除隊後、萬栄郊外の農会地にて主にタバコ栽培の農業を始めるも17年に病没。

 私はその農会地時代の昭和18年に鳳林国民学校に入学、同校3年時の8月に終戦、母の実家がある花蓮港小学校に転校。翌昭和21年4月に日本に引き揚げ、三重、京都、群馬と転居、それぞれの小学校に転入学した。

 

 ◆忘れられた「台湾」、東日本大震災で再び台湾の名が

 中学に入ったとき新憲法が公布となり民主主義、自由、平等といったものを知り、素直に「素晴らしい時代」の到来を喜んだものである。しかし、ある社会科の教員が台湾、朝鮮、満州等の海外に渡った日本人たちのことを「侵略主義政策の先兵、手先」と評したことに、強いショックと違和感を覚え、どこか後ろめたさを意識するようにもなった。同時に、自分が接していた台湾人、原住民たちとの暮らしは実にのどかで仲良く平和であったこと、周囲の大人たちも皆、質素な生活で、現地の人々とも誠実に接していた光景しか目にした覚えがないことから、社会科教員の言葉や、世上言われるような差別、強制、収奪といった見方に疑問を持っていた。

 一方、蒋介石率いる中華民国政府は毛沢東率いる中共軍との内戦に敗れて台湾に本拠を移す。それ以降、日本のマスコミから「台湾」の名は消えて「中華民国」に変わった。1971年、その中華民国が国連を脱退(追放)、日本が中華民国と断交、翌1972年に毛沢東政権を中国を代表する唯一の合法政権と認めて国交を結ぶと、多くの日本人の記憶から中華民国の名前が消えていった。目にする情報は中国一色となった。

 平成11年、東日本大震災が発生、台湾は世界に先駆けて救援隊を派遣、世界一の多額の義捐金を送り届けてくれた。地域の大病院が津波で流された震災地に対して、いち早く新しい病院を建設、寄贈するという温かい手を差しのべてくれた。そのことを知った私は、自分の身内がやってくれたように嬉しかったのを覚えている。あのときの台湾の厚い支援を知った日本人は、再び「台湾」という名前と「国」の存在を思い起こしたに違いない。

 

 ◆自虐史観に侵された娘たちを気付かせた日本語世代の話

 私は台湾から極めて安全に引き揚げてくることができた。それに比べて、朝鮮、満州、中国大陸からの引揚げ者たちは、金品を奪われるだけでなく凌辱され、殺されという悲惨極まりない命がけの帰還をしてきた。そのことを新聞や本で読み知った私は、いつの間にか台湾での楽しかった生活や引揚げについて人前で話すことを憚るようになった。

 その後結婚した私は、幼い三人の娘たちに向かって台湾時代の楽しかった生活や、自慢話を聞かせた。それというのも、家内も朝鮮からの引揚者であり、何かにつけて外地での生活が話題になることが多かったからでもある。

 しかし家内の引揚げ話は悲惨と恐怖極まりないもので、ヨーコ・川島・ワトキンズ著「竹林遥か遠く」に書かれた引揚げ体験と寸分変わらぬ命がけの逃避行。のんびり、安全に帰還した私の引揚げ体験などあり得ないこととして信じてもらえなかった。子どもたちも、いわゆる自虐史観の歴史教育に染まっていて、私の話は単なる造りごとの自慢話ぐらいに受け止めていたようだ。

 「二度と朝鮮には行きたくない」といっていた家内が亡くなり、私は高校生、大学生になっていた娘たちを私が生まれ育った瑞穂、萬栄、鳳林、花蓮に連れて行った。私が住んでいた萬栄などを訪ねる日本人はいない。小さな駅に降りると、いつの間にかお年寄りが集まってくる。湾生の父親に連れられて来たことを知ると、彼らは勝手に?子どもたちを連れまわし、日本統治時代の遺物や生活について話し聞かせてくれた。

 「日本時代は泥棒がいなかった、日本人の先生は立派だった、道徳・規律がしっかりしていた、時間・約束を守った・・・・・」

 子どもたちは、このときの台湾旅行で「お父さんの自慢話は本当のようだ」と思ったらしく、以来、台湾に興味を持つようになった。日本の若い人たちが日台史について正しい知識を得ようとするきっかけになるものがあればいいな、ずっと思っていた。

 台湾の「日本語世代」の体験を記録しようという話が出たとき直ちに賛同したのはそのためである。

 

3.「日本語世代」の証言と統治時代への評価

 座談会を含めて20人の日本語世代から話を聞いたが、個別具体的なエピソードを除いて、統治政策への評価など共通する問題について要約しておこう。

 

 ◆学校教育について

 当時は、いわゆる「皇民化政策」により内地並みを目指して教育に力が注がれていた。特に台湾の場合、割譲当初に活躍した「六士先生」の伝統が生きていたのか、口をそろえて「日本人の先生は厳しかったが情熱的で熱心だった」というのが共通した評価であった。

 この集いでも講演に招いたことがあるジョイ・李氏も次のようなエピソードを紹介している。

 「台湾人だけが学ぶ公学校でのことです。ある日本人の先生は、いつも弁当に蒸かしイモしか持って来られない原住民の子に言ったそうです。すまないが先生の弁当と取り替えてくれないか?先生はさつま芋が大好物なんだよと。そしてまた翌日に、別の子が芋を持ってくると同じことを言って自分の弁当と取り替えてもらう。先生は決して芋が好物じゃないのに、子どもに気を遣わせないためにそんなことを言っていたのです。」

 こんなことは珍しいことではなかった。

 私の伯母も鳳林で公学校の教員をしていたが、あるときその伯母に届けるよう母から大きな風呂敷包みを託されたことがある。後で母に聞いたら、姉の着古したブルマーと運動靴だった。教え子の中に運動会で着るブルマーを持っていない原住民の子がいて、姉のお下がりをくれ、と伯母に頼まれたのだという。当時は、兄弟姉妹の間でも「お下がり」は当り前の時代でもあった。

 また日本語世代の方々に共通していたのは、当時の先生の名前をすべて覚えていたこと。どこに住んでいて、何が好物で、出身縣はどこで、といったことまで実によく覚えている。先生と生徒の関係が今よりずっと濃密だったのだろう。どの先生も厳しかったが熱く優しかった。

 

 ◆差別はあったか

 極端な差別はなかった。台湾人・原住民の行く学校は公学校、日本人の子は小学校(国民学校)と分けられていた。彼らは、「日本語ができないのだから、それも仕方ないだろう」といった受け止め方をしていた。当時、台湾人・原住民の子はほとんどが公学校に入ってから日本語を学ぶのが普通であった。

日本人の行く小学校には所定の条件(たとえば日本語を話す家庭の子息、とくに成績優秀な子など)を満たした限られた少数の台湾人・原住民の子だけが入ることができた。

そのため小学校に入学する台湾の子は優秀な子が多いうえに日本人に負けまいと頑張るから成績上位は台湾勢で占められ、進級できない落第生は日本人ばかりだったという。しかし、原住民はたとえ1番の成績をとっても主席にはなれなかった、とタロコ族の老人に聞かされた。制度としての差別といえばその程度のものであった。その学校制度も皇民化政策がすすみ戦況が厳しくなった頃からは、そうした差別は好ましくないということになり、公学校がすべて小学校に改められた。

東台湾のインフラ整備として鉄道路線の敷設工事が盛んな頃、多くの現地人が徴用されたが、労賃に差別があった。原住民は1日75銭、平地人(漢人)は100銭、日本人はもっと高い、という差別を体験した原住民から聞いた。

 

 創氏改名(改姓名)

 中学生の社会科の教員から朝鮮・台湾における創氏改名について聞かされたことがある。「日本は先祖代々受け継いできた姓名を強制的に奪い、日本名に改めさせた。それは当人にとって如何に屈辱的なことか」と。事実ならば確かに屈辱的なことである。

座談会の席で確認してみると、事実は全く違った。

 改姓名はあくまで本人の申請によるものであり、決して強制ではなかった。法的根拠も見当たらない。実際は、申請しても無条件に認められるものではなく、一定の条件があった。たとえば、日本語家庭である、ある程度の資産を有している、犯罪歴がない、一定以上の学歴がある、日本人になる意思が強い等々、といった条件に照らして審査を行い、ときには家庭訪問のうえどの程度「日本的生活」をしているかという実地見分があったという。

 ただ皇民化政策を推進していた当局としては、地域の有力者に日本名を名乗って欲しかったので、そういう対象者のところには役所や警察が勧めに来たりした。熱心に勧められると断りにくい圧迫感はあっただろう。かといって、断ったり、日本名を持たなかったりしたからといって不当な扱いを受けることはなかった。

 むしろ、日本名を持つことが一種のステータスになっていて、すすんで改姓名をする者も少なくなかった。日本名を持った場合の特典といっても、せいぜい食糧の配給時に多少多く割り当てられる程度。特別配給を目当てに改姓名を望む者もいた。

 台湾では、影で悪口をいう場合、日本人のことを犬、大陸の中国人を豚という。だから、日本名をつけた人のことを「三本足の犬」と陰口をたたいていた。日本人におべっかを使う者も同じ。片方の親が日本人の場合は「一本足の犬」と言われた。

 

 日本統治時代への評価

「最後の日本語世代」が生きた日本統治時代は、50年の統治時代の後半の20年ぐらいにあたる。大正時代の後半から昭和20年の終戦まで。電力、水道、道路、鉄道、港湾などの基礎的インフラなんとか整ったものの、一方では日支事変に続く第二次大戦から日本の敗戦に至る苦難をも経験した人たちである。

 加えて、日本の敗戦と日本人の引揚後には数万人ともいわれる犠牲者を生んだ「二二八事件」と「白色テロ」という恐怖の時代を体験した世代でもある。被統治下では「日本人」として、終戦後は「台湾人(中華民国)」として今を生きている彼らは、日本統治時代を振り返ってどう捉え、どう評価しているのだろうか?

 インタビューした20人の日本語世代はおしなべて良い評価をしている。とくに教育と衛生観念の普及、インフラ整備についての評価は高く、「感謝している」という言葉を聞くことも多い。それらの中から彼らの見方を集約、代表するものとして4人の言葉をそのまま紹介する。

 

 廖高仁さん われわれ世代と戦後世代とでは捉え方が異なってくると思いますが、私の実感を一言で言えば「日本は本気で台湾を経営していたな」ということです。これは私ひとりだけの思いではありません。仕事柄、歴史資料や本を読みますが、日本時代を生きた多くの台湾人がそう感じています。

われわれの知らない初期の日本時代つまり日本が統治を始めたときの台湾は、清国からも「化外の地」とされるほど未開でした。鉄道は基隆から新竹までの1本だけ、まともな道路もない、電気、水道もない、なにしろ山地原住民のなかには首狩りの風習さえ残っていた時代でした。きわめて治安が悪く、清国政府も「3年毎の小反乱、5年毎の大反乱」という抵抗に手を焼いていたのです。

そこへ日本が来て道路、橋、鉄道、水道、電気などあらゆるインフラを整備するとともに、行政機構、戸籍、土地、学校制度を確立しました。発電所ができて電力が生まれ、製糖、タバコ、をはじめとする産業が盛んになりました。

八田与一のダム建設のおかげで西部に一大穀倉地帯、農産地帯が生まれました。農業振興策により美味しい蓬莱米が生まれ、野菜の品種も増えました。

あの頃の言葉に「内地如一」というのがあります。台湾は内地の延長、内地と同じにする、という考えです。この言葉をみても「本気だった」ということがわかります。

私は、中でも早くから教育に力を入れていたことを高く評価します。教育は国の力の礎であり、まさしく当時の教育制度の確立が今日の台湾をもたらしたと思うからです。日本時代を体験した台湾人の多くは言います。

「もしもあのときに日本が来ていなかったら、今の台湾は海南島と同じレベルに留まっていただろう」と。

私は日本時代の前期の体験はありません。しかし、親や先輩から聞かされた話も、この評価と大きく変わるところはありません。

 

謝風輝さん 日本は1895年、つまり明治28年から1945(昭和20)までの約50年にわたって台湾を統治しました。その間、戦争という苦難も味わいましたが、日本が台湾の近代化、台湾という国づくりを勤めたことに対して高く評価しています。台湾は日本のお蔭でこれほどまでに進歩したことは事実ですし、私自身は感謝しています。

 

官桂英さん 日本の台湾統治は、よく「植民地政策の成功例」と言われますが、かつて欧州列強国がアジア諸国に対して行った植民地支配に対比したら「当たらずとも遠からず」じゃないかと思います。あのような弾圧や収奪はなかったし、逆に、インフラ投資を積極的に行い、教育制度も確立した。これは評価していい。

政策や運用について個々にみれば是非はあるでしょうがね。

 

邱顕昌さん いわゆる植民地つまり統治、被統治の関係は、勿論好ましいものではありません。ただ、覇権主義、帝国主義がアジアを席捲していたあの時代を振り返ると、日本統治は二十世紀の運命みたいなものでしょう。アジアは植民地だらけでしたから・・・・・。

日本は台湾の経営に本気で取り組んだことも事実でしょうし、多くの犠牲も払っています。最もよく知られている「霧社事件」では、女性、子どもを含めて百数十人の日本人が原住民の急襲によって殺されています。

それを受けて第十四代総督の太田政弘は内地との区別をなくすべく、さまざまな融和政策をとっています。それに応えて、台湾を終生の地と定めた日本人たちは台湾の国づくりに一生懸命だったと思います。

いずれにしても、大事なことは、お互いがそういう歴史の中から何を学び取り、これからの友好関係のためにどう活かしていくかということでしょう。

 

 ◆台湾の行方と選択についてどう思う?

経済的にも強大化した中国の強引ともいえる覇権主義の暴走を前にして、台湾の立場、苦悩は複雑である。高齢者層、若年層、また、いずれの政治勢力を支持しているかを問わず、取材に応じていただいた方々はいずれ近い将来に台湾で起こりうる事態を懸念しているようであった。総統選挙が話題にのぼったときに支持政党を問うと、ただ笑いながら被っている帽子やジャンバーを指さし「この色で判断してくれ」という。とくに原住民の多い東台湾でその傾向が強く、政治的な特殊性があるようだ。

ただ日本語世代の方々は比較的はっきりと自分の考えを表明していた。なかには独立を口にする方、さらには日本が台湾を返還したことを口惜しみ、絶好の独立の機会を逃したと惜しむ方もいた。共通しているのは、それぞれが思い悩み、不安を抱きつつも、現在手にしている自由は絶対に奪われたくない、経済的に中国に依存する関係にあることは認めるとしても現状維持は保持したい、というのが大方の選択のようにうかがえる。

緊迫状況にある香港を目前にしている台湾の人々の目からみると、日本は中国にばかり目が向いており、いつも「平身低頭」に映るようである。「隠忍自重」が過ぎるのではないか、という不満の声も聴いた。

また「今日は香港、明日は台湾、明後日は沖縄」と警告も受けた。日本人は臆病になった、それとも単なる平和ボケか、といった声さえあった。厳しい緊迫した状況下におかれた台湾から見れば、日本への期待が大きいが故にその苛立ちと失望感が強いのであろう。事実、日本語世代の方たちと話していると、日本への期待と日本人への信頼感がひしひしと伝わってくる。同地で生まれ育った同世代の湾生としては、彼らの心情が切なくなるほど理解できる。

 

講演録は以上となります。


主催:日本と台湾を考える集い事務局

https://tsudoi-jptw.jimdo.com/

 

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20190803 第61回集いを開催致します

むかし「日本人」いま『台湾人』(発刊に寄せて)

最後の日本語世代が「日本人」として生きた時代を、今『台湾人』として振り返る


およそ隣国同士は仲の良くないのが世界の通例。国交もないのに両国民が強い絆と信頼感で結ばれている日本と台湾。なぜ、どうして?日本統治時代を生きた最後の世代が語る草の根の証言とエピソード(著書の帯から転記しました)。

 

台湾へ旅行される方が年々増加する日本。美味しいグルメや有名なアニメの原風景のような場所を見に行くのが今の台湾観光のはやりでしょうか?二度目、三度目に台湾へいかれる方、すこし思い出してください。台湾って他の国と違って何か日本人に対してあたりが柔らかいと言うか、親近感が湧きませんか?それはなぜなのでしょうか。

 

その答えが今回のお話から探れるかもしれません。

乞うご期待です!


講師略歴

*ご出演されている「湾生回家」のプロフィールから

 

昭和12(1937)36日生まれの78歳。花蓮港瑞穂生まれ。

幼少期に花蓮港上大和(現花蓮県光復)へ移住。父親が瑞穂の警察署に勤める警察官であった。鳳林国民学校に通学。2年生の時に花蓮港小学校へ転校。3年生の時に終戦を迎え、昭和214月に花蓮港から引き揚げ鹿児島港から上陸している。現在は奈良県奈良市に暮らし、定期的に花蓮でロングステイをしている。将来的には花蓮に移住をしたいとも考えている。

 

ドキュメンタリー映画「湾生回家」ご出演


開催日程等

開催日程:2019年8月3日(土)

開始時刻:13:30〜17:00(13:00受付開始)

参加費: 1,500円(一般)

     1,000円(留学生、学生等)

*参加された方全員に発刊著書を差し上げます

定員:  57名(先着順)

主催:  日本と台湾を考える集い事務局

     e-mail:  t.forum.kansai@gmail.com                    facebook:  日本と台湾を考える集い

当日の講演テーマ

両国で何か災害が起こる度に互いに励まし合う日台両国。その絆のルーツを探ります。

 



開催場所

名称:フラッグスタジオ

住所:大阪市西区江之子島2-1-37 阿波座ライズタワーズ

   フラッグ46 1階

最寄り駅:

地下鉄千日前線:「阿波座」駅8番出口徒歩5分

 



 お申し込みはコクチーズから!



参加申込みは↑

主催:日本と台湾を考える集い事務局

https://tsudoi-jptw.jimdo.com/

 

日本と台湾を考える集いは日台の相互理解の促進をめざし、関西を中心に活動をしている場です。

日台の歴史・政治・文化等幅広い課題を取り上げ、学びの場として集いを開催しています。

連絡先:090-3466-2263 (杉中

 

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20190602 第60回集いを開催致しました

おまたせしました!

エルドリッヂさんの講演会内容をUPしました!

アメリカ人が期待する今後の日台関係を語って頂きました


去る6月2日、国際政治学者ロバートD.エルドリッヂさんに集いにお越し頂き、アメリカ人の視点から今後の日本、台湾に期待する事を多いに語って頂きました。テレビで拝見する通り終止和やかな雰囲気で時折シニカルな冗談を交えながら中身は真剣、沖縄の危機を語り、偽りの平和に慣らされた日本の覚醒を叫び、台湾への警鐘を鳴らす。

 

会場ではロバートさんの書籍販売もあり、購入された方々にはロバートさん直筆のサインを丁寧にされておりました。

ロバートさん、またお越し下さい!


講師略歴:ロバートD.エルドリッヂ氏

・生年月日  昭和43(1968)123日、米国ニュージャージー州生まれ (米国籍)

・前職    米国海兵隊太平洋基地政務外交部(G-7)次長

・専門分野  日本政治外交史、日米関係論、戦後沖縄史、安全保障、対外政策、防災政策、人道支援・災害救援活動など

・研究関心  日米の防衛協力、災害における日米協力、自衛隊の歴史、沖縄問題、沖縄、奄美と小笠原の返還過程の比較研究、

       日本政治・外交

 

 東日本大震災発生時、トモダチ作戦を立案。

当日の講演内容です

20190602 第60回 日本と台湾を考える集い

「アメリカ人が期待する今後の日台関係」

エルドリッヂ研究所代表 ロバート・D・エルドリッヂ氏(政治学博士)

 

1)自己紹介・挨拶

 

A)日本との関わり

文部省のJETプログラム(若い英語教師を日本に派遣するプログラムで、日本との架け橋になる人材育成につながっている)

で日本のことを何も知らずに来日したとき、1年だけの予定だった。

 

プログラム終了後も残り、関西や沖縄に住んで、来日して29年になる。

今日は、これまで取り組んできた研究を紹介したい。

 

神戸大学大学院在学中に阪神淡路大震災を体験し、防災を考えるようになった。

その中で日本の危機管理の哲学や戦略のなさに気づき在日米軍を活用するよう政策提言したが

日本政府などに2011年まで無視された。

 

日本の南海地震対策はまだ充分ではない。

妻の実家は高知だが、本四架橋が壊れると本土からの支援が難しい。

米海兵隊は海からの上陸が得意。

広域災害の場合、自衛隊は広域で動かさずに本来の管轄地域で活用し米軍に補完的に働いてもらうべきだ。

 

B)台湾との関わり

小5のころ、家の中の物がどこで作られたかを調べる授業があった。

おもちゃなど、台湾製のものがあって調べたのがきっかけ。

 

台湾には知人の結婚式で2010年にはじめて行った。台湾は行けば行くほど好きになる。

神戸大学にいた時は1996年の台湾危機と重なっていたが、

台湾留学生と中国留学生の台湾をめぐる国際地位をめぐる議論に遭遇する機会があった。

どう見ても台湾留学生の立場が正しいと痛感し、守る意思が強くなった。

 

独裁的なかつての台湾なら応援することを米国民が簡単に納得しないが、冷戦後の今は台湾は民主化されている。

多くの米国民は現在の台湾を知らず、少し前の台湾、つまり中華民国のイメージをもっている。広報が大切。

今執筆中の沖縄返還についての本を書き終えたら、台湾外交部の招聘研究員になりたい。

 

2)基本的な見解

日・米・台は運命共同体だと考えている。

日米、日台、米台の二国間でなく、3か国をセットで見るべき。

更に言えば台湾は日本にとってアメリカと同等あるいはそれ以上に大事な国。

地政学的にも台湾が中国に取られると尖閣、沖縄が危うくなり、日本自体が中立か奴隷かになりかねない。

 

「台湾は国家であり、中国の一部ではない」と私はいつも発言している。

せめて日台で地方自治体相互の姉妹都市関係を広げて行けば、国と関係なく日台の関係強化が今日からできる。

 

3)台湾が国家であれば

日米が直ちに承認すべき。

過去40年以上、台湾よりも中国との関係を優先しすぎたわけだが、前提がまちがっていた。

今の台湾は完全な民主国家であり、台湾人には自分達のアイデンティティを持ち、自決する権利がある。

 

台湾の蔡英文総統の就任式に参加した際に衝撃的な経験をした。

30代の女性と隣席になり、彼女に台湾か中国かアイデンティティを聞いた。

すると私のルーツがどこかと聞かれた。

先祖はアイルランド、イギリスやドイツの出身だと言うと、ではロバートさんはアイリッシュですか?

それともイギリス人、ドイツ人ですか?と言われた。

どれも違う。その話を聞いて、とても納得した。

 

4)米国にとっての台湾の重要性

軍事的、戦略的理由から台湾はきわめて重要な位置にある。

防波堤になっていると同時に作戦展開時にも重要な位置にある。

 

心理作戦上の重要性もある。

というのは、中国は、「文化的に民主主義は定着しない」「中国には民主主義の伝統がない」といつも言うが、

中国の文化・伝統を受けている台湾が見事な民主国家になっていることで、

中国の主張への重要な反論材料になっているからだ。

香港もそうだ。

民主主義国家としての台湾の存続の重要性がますます高まっている。

 

米台間は、台湾関係法によって準同盟関係と考えてよい。

その台湾をアメリカが守るかどうかということをアメリカの同盟国は注目しており、

アメリカは外交関係を維持するには台湾を守る必要がある。

 

5)日本にとっての台湾の重要性

日本にとって台湾はアメリカと同等かそれ以上に重要な存在だが、

それに見合う行動を日本政府がしていないと思う。

 

2015年に『尖閣問題の起源』という本を出した。

沖縄返還のとき、アメリカは中立政策をとってしまった。

尖閣の施政権は日本に返したものの、領有権(主権)が誰のものかはあいまいなままにした。

尖閣が日本のものなのか中国のものなのか台湾のものなのかは、

当事者同士で決めるよう、きわめて無責任な政策をとった。

 

この本『尖閣問題の起源』は、まだ私が米政府に勤め、現役のとき、クビになる覚悟で出版した。

アメリカの政策を真っ正面から批判する国家公務員はあまりいない訳で(笑)、

でもクビにならず、私はがっかりした。

 

というのは、クビにされなかったことは、アメリカ政府の関係者が読んでいないことを意味するからだ。

(尖閣問題の歴史はこの本を読まないとわからないのに・・・)

 

沖縄返還までは、アメリカは「尖閣は日本のものだ」との立場だった。

このことを本の中で明らかにした。

 

サンフランシスコ講和条約についてのダレス特使の解釈では、

日本に潜在主権がある。尖閣は南西諸島の一部なのだから、

日本は南西諸島の主権があれば尖閣そのものに対する主権があることになる。

 

ところが、中華人民共和国がいきなり尖閣の主権を主張しはじめたため、

中国の代表権を争っていた中華民国も主張せざるをえなくなった。

「どちらが中国の代表か」にかかわるためだ。

 

尖閣問題の起源は、もちろん中国が悪いが、アメリカも悪かった。

しかし、それ以降、47年間、空白にしてきた日本も悪い。

(この点について、拙論「日本の政治家は尖閣問題に背を向けている」『正論』2017年9月を参照。)

 

6)尖閣諸島の取引

2016年に大胆な政策提言を発表した(拙論「『日米台同盟』で尖閣を防衛せよ」『正論』2016年8月号参照)。

尖閣についての取引ができるのではないか、ということ。

 

・米国は尖閣の主権は日本にあることをはっきり公に認め主張すべき。

(アメリカは中国と台湾に説得を試みるが、どちらも嫌がるだろう。特に中国は最後まで反対するだろう)

台湾としては、日本に主権が行ったことを受けて領有権の主張を取り下げる。(台湾政府は台湾国内を説得する)

 

・アメリカと日本は、台湾を国家として認める。

 

さらに

・蔡英文政権の在任中に実現すれば、蔡英文総統のノーベル平和賞受賞を日本が推挙する。

 

このような取引ができれば、日米台の同盟が必然的に成立することになる。

嫌がっている中国が尖閣に対して何か行動をとっても、この三者で連携して対応できる。

カギになるのはアメリカの姿勢だが、オバマ時代にはできなかった。

いまトランプ政権になってから、毎週のように新しい台湾情勢の動きがある。

 

7)日本版台湾関係法の早期制定へ

 もうひとつ、日本版の「台湾関係法」の早期制定を提案した。

(拙論「日本版『台湾関係法』制定を今こそ」『正論』2018年9月)

 

2019年、アメリカの台湾関係法が成立40周年を迎えた。

この時期に日本版の台湾関係法ができればよかったが、

前年の秋の国会は外国人労働者拡大の議論ばかりで、

日本にとって重要な台湾のことが話されずに情けなかった。

 

中国の脅威はますます増大している。

以前は中国が台湾を侵略することは軍事的に難しいという認識だったが、

今や完全に台湾を制覇できる能力を持つに至った。

 

中国の発言・能力・実行意思の3つが揃うと非常に危ない。

そんな中にあって、日本の役割が議論されていない。

自民党系代議士が台湾に行っていろいろ言っているが行動につながっていない。

有事の時に日本だけ行動が伴わないと、運命共同体である日米台の三者が連携できない。

特に日と台の連携がいちばんできていない。作戦が難しくなる。

 

日本は、アクサ協定(ACSA物品役務相互提供協定)で、

アメリカやイギリス、オーストラリアと物品の融通ができるし、

カナダやフランスとも近いうちに締結する予定だが、いちばん重要なのが台湾との連携。

国家ではないという理由で台湾との連携をすすめていないことが問題。

 

安倍政権と蔡英文政権のうちに日本版「台湾関係法」を制定して、台湾と連携する方がいい。

そして台湾の孤立を早く終了させるべき。そうしなければ日本は後悔することになる。

 

8)その他の防衛協力

一緒に台湾を訪問したことがある元空幕長の田母神閣下が提言した、

日本と台湾との間でADIZ(防空識別圏)の共有に取り組むことで軍事交流ができ信頼関係が構築できる。

 

また、台湾の旧式艦を改装してオスプレイが着艦できるようにすれば、

日米間で行っている訓練に台湾が参加しやすくなる。

救急の建前で台湾艦船の参加を求める方法もある。

 

MEU(海兵隊の遠征部隊)は米海軍の3隻の艦艇に分乗してアジア太平洋の警察の役割を果たしている。

沖縄の海兵隊は地球の52%をカバーしていて、活動の中心にあるのがMEUだ。

本来は、MEU部隊を3つ置き、それぞれ稼働部隊、訓練部隊、整備点検部隊として運用することが必要なのに、

アジア太平洋地域には1つのMEUしかないことからミスが生じる。

 

2019年の8月13日は、沖縄国際大学に海兵隊のヘリが墜落してから15周年。

あの時の問題は整備ミスだったが、その原因は1つの部隊が3つ分の部隊の仕事をこなしていて、

忙しく、飛行直前にあわてて整備したことにあったと思われる。

 

アメリカがMEUを増やせないなら、同盟国が3隻を出せば、3つの部隊ができる。

それを国際化する方法をとるべき。日本と豪州が3隻ずつ出せば実現できる。

将来的には台湾、インドも参画できるとさらに効果的と考え15年前に提言したが、日本の動きは本当に遅い。

数年前からようやく陸自がMEUに関わるようになった。

 

9)防災協力

これは、安全に関する分野なので、台湾が問題なく参画できる取組みだ。

第一列島線に防災拠点を整備することを3年前に産経新聞で提案した。

つい最近、4日前に、英字紙の『台北タイムス』に日台の防災協力についての同様な内容の論点が載った

(“Response Hubs to Integrate Taiwan, http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2019/05/28/2003715904)

私の海兵隊時代の先輩が、かつて台湾と米軍の防災や防衛協力のあり方について論文を載せ、

その中で「地上版のMEU」を作ることを提案していた。

防災拠点の活動と、MEUの救援活動(人道支援)は、ほぼ同じなので、

そのことを知ってもらおうと台北タイムスに私が解説記事を寄稿した。

 

 岩国から300kmごとに防災拠点をつくり救援物資を集積しておけば災害時にすぐに対応できるので、

岩国 → 鹿屋 → 奄美大島 → 普天間 → 下地島 → 台北 → 台南 → クラーク基地→ミンダナオ島と整備しておく。

 

フィリピン南部のマラウイ市はイスラム過激派組織と政府の治安部隊との戦闘で荒廃し現在復興・再建中だが、

日本政府の動きが鈍いので、そこに中国が入ろうとしている。

中国が入ると第一列島線を突破できるようになる。

また、再建した施設の債務返済ができなければ中国が手に入れ、南シナ海が中国のものになってしまうため、

日本は太平洋側で自由に動けなくなる。

 

中国が一帯一路構想でアフリカ・ヨーロッパ中東に行こうとしていることは有名だが、

もうひとつ太平洋諸島と南米まで出る案も持っている。従ってフォリピン南部は中国にとって最重要なところだ。

 

世界一の不発弾処理能力を持つ自衛隊が、マラウイ再建に向けてJICAと連携して取り組むことができれば、

復興への技術提供ができ防災協力の面でも意義が大きい。

 

それが難しいなら、日本とアメリカの防災訓練に、フィリピン・台湾にも早いうちに参加してもらうべきだ。

次の南海地震での効果的な支援活動を考えると、日米だけでは対処できない。

 

10)国際交流や広報外交

他には、日本が主導する形のTPPに台湾も参加すべき。

また、冒頭で紹介したように、日台間で姉妹都市交流をどんどんすすめるべき。

日本では1,728の姉妹都市がある。

日本の市町村数1,741(H30.10.1)と近いため、

各自治体が1つずつ姉妹都市を持っているような印象があるが、

実際には多数の縁組みのある自治体が3分の1程度あり、全く姉妹都市を持たない市長村の方が多くなっている。

 

私は、相手方の都合で交流活動が停滞するリスクに備えて、複数の姉妹都市をもつべきだと考えている。

台湾との連携はこれから重要だが、日台の姉妹都市提携はそれほど多くない。

普天間のある宜野湾市は、アメリカとの姉妹提携は意外にもゼロで、中国とは連携している。

総領事館も、エリートとの交流ばかり考えていて、本当に沖縄のためになる、

一般県民を視野に入れた交流行事等に取り組んでいないことが問題であり残念だ。

 

もうひとつ大事なのは、将来に投資する意味もある、子供達との交流。

私は日本の高校か大学で留学義務を設けてもよいと思っている。

高校無償化ではなく、家庭の事情で難しい生徒も留学できるよう、留学を無償化すべきという意見もある。

 

そして、極めて大事な広報外交について。

もう少し台湾が力を入れて取り組んでほしい。

アメリカでは台湾の話をほとんど聞かない。

もしかすると米台のエリート同士しか交流していないかもしれない。

台湾の法的問題等をエリート向けではなく、一般向けに働きかけていくことが大事。

 

おわりに

中国は、軍事的に台湾を攻略できる状態に達している。

台湾が失われたら、尖閣、沖縄、日本が危ない。

日米台は運命共同体であることに気づいてほしい。

 

質疑応答

尖閣は、戦後米軍の射撃場として使われていたと聞くが、

改めて日本政府に使用を申し込むようなことはできないのか?

 

久場島と大正島を射撃訓練場にしていたが、1978年に突然使用しなくなったのは大きな謎だ。

1978年は日中平和条約を結んだ年で、尖閣周辺に中国漁船が沢山集まった時期でもあった。

推測だが、日本の外務省かアメリカの国務省のどちらかが在日米軍に使用を遠慮するように指示した可能性がある。

 

 アメリカ側の内部資料では、最終的な経緯がわからない。

軍はある施設を最大限使いたがるので米軍が自主的に判断して使用をやめたとは考えにくい。

この点についての日本の公開資料は皆無。

海外の研究者も日本がどのようにしてきたのかを知りたがっている。

日本が歴史的に見て良い仕事と評価されるような活動をしている場合でも、

その資料を出さないことには評価されない。これでは、広報外交ができない。

 

私は9年前の日米幕僚会議の時に、

「自衛隊の訓練場が非常に少ないので、米軍が尖閣の射撃場を使わないのなら日本はアメリカ政府に返還を求めるべきだ」

と提案した。

自衛隊と米軍の共同使用でもかまわないが、使わないという選択は尖閣の実行支配にならないのでダメ。

 

私は、尖閣のことは安全保障上の問題というよりも、

「日本政府の姿勢」の問題だと思っている。この47年間、日本政府は尖閣において何もしてこなかった。

7年前には第2次安倍政権で公務員を常駐させると公約したがしていないので公約違反。

1950年代には、尖閣に気象台を作るようアメリカが提案していたが、当時日本はお金がなくてできなかった。

1970年代初期には今度は日本が気象台設置を提案したが、

中国を意識したニクソン政権の関係で、アメリカの管理下ではやめてほしい、返還後にどうぞ、となった。

しかし、日本は、返還後何もしない「尖閣無策」が現在まで続いている。

 

ヘリポート、灯台、避難港(石垣や宮古の漁民用)・気象台の設置や公務員駐在という5つの取組みは、

軍事目的ではないので、今からでも行政ができること。

 

これらの設備は誰でも使え、特に遭難したときは国際公共財として使われ国際貢献にもなるし、

日本が実行支配していると見えるので中国も侵略しにくくなる。

 

逆にこれらを作らない場合は、「尖閣が本当に日本のものという自信がないことの証拠」として外国には映る。

中国は「日本は自信がない」と見て調子に乗り、いずれ尖閣が南シナ海のようになる。かえって危険だ。

 

国際政治というのは、野生動物がいるジャングルと同じ。

野生動物は相手が自分を怖がっていると思えば強く出る。

中国も同じだ。戦争を避けるために、さきほど言った「行政ができる5つのこと」にきちんと取り組むことが重要。

まず、この予防的なことをしておかないといずれ本当に戦争になる。

 

その後からでも同時並行でもいいので、軍事目的の訓練場が使われていないという現状を変える要求もしていくべき。

全ては日本人次第だ。

 

尖閣のことで日本が中国に遠慮する状況から、何か密約があるのかと感じてしまい、

米軍側から働きかけてもらうことへの期待を持ってしまうのだが、やはりそれは難しいのか。

 

これまで日本が何かしようとしても、アメリカの顔色をうかがいながら対応せざるを得なかった。

例えばオバマ政権では、(私は無視したが)米軍関係者に靖国神社に行かないよう指示していた。

でも今のトランプ政権は日本の味方。今までとは違うことをしてもいい時期になっているはず。

中国を刺激するから・・・なんて考え方はしない方がいい。

 

中国は他国との共存ではなく、自らが覇権国家となることを目指している。

まわりをおとしめる中国のもとでは、日本は奴隷になるか搾取されるかしかない。

 

ただし、この「機会の窓」がいつまで開いているかはわからない。

トランプ政権が1期で終わったり、台湾に親中政権ができたりする可能性もある。

タイミングのいい今のうちに既成事実を積み重ねる方がいい。遠慮することは損になる。

 一方、米軍も文民統制なので、軍が勝手には動けない。

日本の世論の力で、「使わない演習場は返して」と日本人が声を上げるべき。

 

辺野古への移転でもめて完成までに時間がかかりそうだが、

宮古島の隣の下地島空港を自衛隊と共用する等の考えは出てこないのか。

 

日本には哲学も戦略もないので出てこない。

5年前、安倍総理と管官房長官が当時の仲井眞沖縄県知事に、

「普天間基地を5年以内に運用停止する」と約束したが2019年2月17日の期限までに約束を果たせなかった。

沖縄から見れば、「また日本政府が約束を守っていない」という状態

(詳細、拙論「『普天間運用停止』本当に辺野古以外の解決はなかったのか」『現代ビジネス』2019年2月21日)。

 

 実は、普天間は米軍にとってだけでなく、沖縄県民にとっても非常に重要な施設。

津波が来ると那覇空港は全滅する(自衛隊の那覇基地も)。

嘉手納もダメになるので、90mの高台にある普天間しか使えなくなる。だから返還してはいけない。

 

 辺野古に移転するよりもよい方法がいくらでもあった。

しかし、「何を解決しようとするのか」の前提が誰もわからないまま議論した結果、

普天間の返還について合意がされてから今まで23年経ち、辺野古の完成までにあと17年、合わせて40年かかる。

沖縄返還は20年で実現したのに、1施設に過ぎない普天間の返還に40年もかかるのはおかしな話。

 

辺野古移転は非常にまずいプランで、米軍も辺野古は望んでいない。

文民統制のしくみの中で、沖縄のことを知らないワシントンの人間と

沖縄に行ったことのない東京の人間が辺野古移転を決めた。

 

下地島空港は海兵隊としてはふさわしくないところだが、

有事のときにはぜひ使うべき場所で、自衛隊と米軍の共同使用も可能だ。

 

よく、普天間は世界で1番危険な基地と言われるが、それは嘘だ。

皆さんは伊丹空港や(笑)、福岡空港、台湾の松山空港を使っているが、

普天間の方が海から侵入して離陸後すぐに海に出るので、危険は限られている。

実際に普天間基地を74年間運用してきて、ケガした県民は1人もいない。

 

それでも普天間を返還するなら、辺野古以外の方法がいくらでもあった。

例えば、航空自衛隊は尖閣の近くに置けば緊急発進に要する時間が短くて対応しやすい。

(那覇基地と共用の那覇空港は滑走路が民間優先なので那覇基地からのスクランブル発進はすぐにはできない。

また、尖閣まで遠いためパイロットの疲労や燃料消費も増える。)

 

下地島空港に空自をもっていけば、必然的に中国軍の行動が変わるだろう。

 また、那覇空港の空自の役割が軽減すれば、普天間基地の機能の一部を那覇に持っていける。

 

私が辺野古移転に反対する理由は100近くある。

普天間の滑走路は2,740mあって世界最大級の飛行機が離着陸できるのに対して、

辺野古に作る滑走路は1,190mしかなくアメリカの田舎の空港のようにセスナしか使えない。

なぜそんな施設を作るのかがさっぱりわからない。

しかも大浦湾は深く、軟弱地盤で工費がかさむ。

 

 日本政府が辺野古移転を言うとき、唯一の解決策のように言っているが、

これは嘘で、よりベターな複数の代案があった。加えて辺野古の海抜はゼロで、津波には弱い。

 

また、普天間基地の教訓として、飛行場は人のいるところに作ってはいけないということがあったはずだが、

辺野古には住民がいる。彼らは既存の基地であるキャンプ・シュワブと60年間仲良く暮らしてきた。

 

人口も基地の開設で大きく増えた。しかし、ここに空港ができるとなると別の次元で環境が変わる。

おそらく空港開設直後から騒音等の苦情が出てくる。

となると、また新たな問題を生み出すことになって、莫大な予算を使って何の解決にもなっていない。

 

 現在、辺野古の工事の遅延で、業者への補償など巨額の費用が生じているが、

こうした問題の発生は、私が2006年の時点で『中央公論』(「どこにも行かない『ロードマップ』」)で指摘していた。

私は地元から反対されて機動隊を投入しないと工事ができないような計画は、考え直した方がいいと思う。

私が海兵隊をクビになったのは、活動家が基地に入った映像を公開したため。

 

活動家が基地の敷地内に入ったためにもみ合うことになった基地警備員のメンツを守りたくて映像を公開し、

司令官がパニックを起こしたのだった。

こういうトラブルはあらかじめ予測されていたこと。

だから下地島空港は米軍よりも航空自衛隊が使うほうがいい。

 

辺野古よりも那覇空港を使う方がいい。

もともと那覇空港の第2滑走路は普天間の代用で有事に使う目的があったため。

そして、下地島空港を拠点に空自が動ける環境になれば、台湾空軍との連携も取りやすくなるメリットもある。

 

日米にとってどうすることが最も良いのか。

普天間に限らず、全ての基地を自衛隊の管理下に置くのがベストで、

そうした高いレベルの交渉に持っていかず、妥協の産物として出てきたのが辺野古移転であり、

最悪の中の最悪の選択になったのは情けないことだ。

 

 ちなみに辺野古移設の合意ができてから、防衛大臣は35人、沖縄担当大臣は40人、外務大臣は31人、

官房長官も約30名変わった。誰が責任をとるのか。

この間、アメリカ側は国防長官など5~6名変わり、沖縄県知事は太田→稲嶺→仲井眞→玉城と変わった。

 

国の担当大臣がこれほどめざましく変わるようでは、沖縄の事情に詳しくなるはずがないし、

いかに日本が安全保障のことを重視していないかの表れだ。

 

台湾は来年1月11日の総統選挙を控えて大変な状況になっている。

アメリカの意向で台湾総統が決まるという人もいる。

そこまでアメリカの影響力があるのかどうかお聞きしたい。

 

多少の影響力はあると思う。

しかし、もう1カ国、中国も影響力を発揮している。

台湾住民の圧倒的多くが、自分達は台湾人であって中国とは別、中国の一部ではないと思っていても、

中国はいろんなきたない方法で結果を左右することができる。

残りの時間でアメリカと日本が協力して台湾が「絶対に自由な民主主義の西側に残りたい」

という選択ができる国際環境を作るべき。ぜひ、日本版台湾関係法をつくるようなことをやってほしい。

 

中国政府が台湾に対して1国2制度を適用したいと提唱しているが、

香港では既にそれが悪い例になっている。その点についてアメリカ政府はどう考えているのか。

 

22年前に中国に編入された香港の例は否定できない。

アメリカも台湾についての基本的な認識がまだまだ不十分で、

かつての独裁時代の台湾と今とを同一視してはいけない。

 

一国二制度による解決は絶対認めてはいけない。

自分達が中国の一部ではないという台湾人の意見が支配的になるまでにはもう少し時間がかかる。

最終的に台湾住民の自決を尊重すべきだが、台湾を1国だとする立場の議論がまだまだ少ない。

学会、政治家、経済界も情報戦の中にあるので、もっと広報外交が拡大しないと間に合わない。

安全保障が係わるとみんな団結するが、議員は選挙になると政治献金等で弱くなる。

政治献金に左右されず、信念、正しい認識で動けば正しい判断につながる。

 

台湾との軍事交流や軍関係者の人事交流のようなことは可能なのか

 

若干は取り組んでいるとは思うが、2つ問題がある。

まず、台湾の中で台湾軍の地位が低いこと。

資金が足りず近代化が非常に遅れており、相互運用体制をとることがむずかしい。

 

また、装備品だけでなく戦闘の考え方も古い。

台湾は孤立していて軍事交流がないため、およそ1970年代後半の軍隊。

40年間の日米同盟の進化は台湾は受けていないので、

これから数年の間に40年分の空白を勉強してもらわないといけない状態。

日本は米・台の双方から信頼されているので、アメリカがやらない・できないことは日本がしないといけない。

 

特に大きな課題になっているのは水陸両用作戦。

台湾の海兵隊は8,000人まで減少している。

自衛隊は米軍から基礎から学んでおり、身につけたノウハウを台湾に提供すれば、

日台の水陸両用作戦が同じペースで展開でき、米台日の連携ができる。

 

東京で台湾海軍の制服組との防衛交流の場がある。

それができる場所をもっと増やすことが重要。中国の批判をおそれず、堂々と交流すべき。

玉城知事は中国を刺激するなというが、刺激しているのは中国のほうだ。

政治・経済・軍事の可能な交流をどんどんすすめればいい。

(以上)

 

正論1月号増刊 「台湾危機」 の出版に関わりました。

2019年12月10日発売

 

https://seiron-sankei.com/11601

 

 

(執筆記事)日本版「台湾関係法」制定を今こそ

 

  元在沖縄米軍海兵隊政務外交部次長

      ロバート・D・エルドリッヂ


主催:日本と台湾を考える集い事務局

https://tsudoi-jptw.jimdo.com/

 

日本と台湾を考える集いは日台の相互理解の促進をめざし、関西を中心に活動をしている場です。

日台の歴史・政治・文化等幅広い課題を取り上げ、学びの場として集いを開催しています。

連絡先:090-3466-2263 (杉中

 

集いでは運営のお手伝いをしてくださるスタッフを募っております。

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20190602 第60回集いを開催致します

アメリカ人が期待する今後の日台関係


平成20月に始まった「日本と台湾を考える集い」は今回で第60回を迎えます。

これを記念し、日米関係・防衛・沖縄などの問題について、多数の著作・論文を書かれ、またテレビや雑誌などでも数多くの提言をされている、ロバート・D・エルドリッヂ博士(元・米国海兵隊太平洋基地政務外交部次長)を講師にお迎えすることになりました。 

 

これからの日台関係について、日台が属する西太平洋地域の平和と安定について、両国と切っても切れない関係にあるアメリカ人の視点から、現状の分析や将来の展望について語っていただきたいと考えています。 


講師略歴:ロバートD.エルドリッヂ氏

・生年月日  昭和43(1968)123日、米国ニュージャージー州生まれ (米国籍)

・前職    米国海兵隊太平洋基地政務外交部(G-7)次長

・専門分野  日本政治外交史、日米関係論、戦後沖縄史、安全保障、対外政策、防災政策、人道支援・災害救援活動など

・研究関心  日米の防衛協力、災害における日米協力、自衛隊の歴史、沖縄問題、沖縄、奄美と小笠原の返還過程の比較研究、

       日本政治・外交

 

 東日本大震災発生時、トモダチ作戦を立案。


開催日程等

開催日程:2019年6月2日(日)

開始時刻:13:30〜17:00(13:00受付開始)

参加費: 1,000円(一般)

        500円(学生)

台湾からの留学生・ワーホリ、高校生以下は無料

定員:  70名(先着順)

主催:  日本と台湾を考える集い事務局

     e-mail:  t.forum.kansai@gmail.com                    facebook:  日本と台湾を考える集い

当日の講演テーマ

混迷を極める東アジア情勢の鍵を握るアメリカの視点から、地理歴に要所を占め、かつ歴史的にも縁の在る日本と台湾が如何に立ち居振る舞うべきか、国際関係を追求するエルドリッヂさんに存分に語って頂きます。

 



開催場所

名称:フラッグスタジオ

住所:大阪市西区江之子島2-1-37 阿波座ライズタワーズ

   フラッグ46 1階

最寄り駅:

地下鉄千日前線:「阿波座」駅8番出口徒歩5分

 



 お申し込みはコクチーズから!



参加申込みは↑

主催:日本と台湾を考える集い事務局

https://tsudoi-jptw.jimdo.com/

 

日本と台湾を考える集いは日台の相互理解の促進をめざし、関西を中心に活動をしている場です。

日台の歴史・政治・文化等幅広い課題を取り上げ、学びの場として集いを開催しています。

連絡先:090-3466-2263 (杉中

 

集いでは運営のお手伝いをしてくださるスタッフを募っております。

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20190414 第59回集いを開催致します

台湾在住作家・片倉佳史さん新刊発刊記念講演


お待たせいたしました! 台湾在住作家・片倉佳史さんによる新刊『台北・歴史建築探訪~日本が遺した歴史遺産を歩く』が320日に発売されます。 発売を記念して、著者・片倉さんの講演を行うことになりました。日本統治時代の台湾に建設され、今も残る歴史遺産の数々についてのお話や、取材にまつわるウラ話など、盛りだくさんのお話が予定されています。この機会をぜひお見逃しなく!

 講師紹介(Wikiから): 片倉佳史氏

1969年、神奈川県に生まれる。早稲田大学教育学部教育学科卒業。福武書店(現:ベネッセコーポレーション)勤務を経てフリー。1991年、学生時代にバックパッカーとして初めて台湾を訪れたのを皮切りに、台湾の魅力に目覚める。1997年から台湾在住。旅行ガイドブック執筆を数多く手がける一方、台湾の遺構や日本統治時代の痕跡を調べ歩き、台湾と日本が歴史的にどのように関わってきたのかを記録。日本のみならず台湾でも出版している。

 また、台湾の魅力や日台の結びつき、歴史などをテーマに講演を行なうほか、台湾からの旅客誘致に関する提言やアドバイスなども行なっている。講演は日本のほか台湾でも行ない、回数は年に40回以上を数える。

 熱心なプロレスファンでもあり世界を旅行中エルサルバドルに立ち寄り、地元のプロレスの試合に参加したほどである。鉄道にも造詣が深く、台湾の鉄道に関する書籍も著している。鉄道を耳で楽しむ、いわゆる「音鉄」で、特に鉄道をメインに据えたサウンドスケープを中心に集音活動をしている。

 


開催日程等

開催日程:2019年4月14日(日)

開始時刻:14:00〜16:45(13:30受付開始)

参加費: 1,000円(一般)

        500円(学生)

台湾からの留学生・ワーホリ、高校生以下は無料

定員:  77名(先着順)

主催:  日本と台湾を考える集い事務局

     e-mail:  t.forum.kansai@gmail.com                    facebook:  日本と台湾を考える集い

当日の講演テーマ

〜台北・歴史建築探訪〜

 

片倉さんがライフワークとして取り組んでおられる台湾に残る日本統治時代の遺構探訪が一冊の本になりました。それを記念して本書に書ききれなかった裏話等存分に語っていただきます。

 



開催場所

名称:JEC日本研修センター神戸元町

住所:兵庫県神戸市中央区元町通2町目3番2号

   3階B2会議室

最寄り駅:

JR・阪神:「元町」駅徒歩3分

阪急電鉄 :「三ノ宮」駅徒歩8分

市営地下鉄:「県庁前」駅徒歩徒歩8分



 お申し込みはコクチーズから!



参加申込みは↑

主催:日本と台湾を考える集い事務局

https://tsudoi-jptw.jimdo.com/

 

日本と台湾を考える集いは日台の相互理解の促進をめざし、関西を中心に活動をしている場です。

日台の歴史・政治・文化等幅広い課題を取り上げ、学びの場として集いを開催しています。

連絡先:080-1403-3578(近藤)

 

集いでは運営のお手伝いをしてくださるスタッフを募っております。

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20190209 第58回集いを開催しました!

台湾の地方選挙と国民投票

〜その結果から日本が考えるべき事〜


講師: 酒井亨氏(公立小松大学准教授)

 

   2019年2月9日、大阪市西区のフラッグスタジオにて酒井先生に御登壇頂き最新の台湾事情をお話頂きました。先生は早稲田大学政治学科を御卒業後、台湾大学法学部研究科修士課程終了の後、共同通信社記者を経て民主進歩党系シンクタンクに勤務された経験を持つ、台湾を外から、そして内から、しかも極めて深い内部から分析を加えられる知識、経験をお持ちです。若かりし蔡英文の話も交えながら鋭い視点で台湾の直面する課題、危機について学ぶ機会を頂きました。


 「蔡英文は国民党の廻しもの!」と、先生独特のショッキングワードで始まった講演は先の地方選挙の分析から始まりました。

 

   蔡英文総統になり台湾はより独立色の強い新たな道を歩み始めたのでは?と我々は思いがちですが、先の地方選では国民党一色に染まりました。何があったんだ?、モヤモヤの霧を先生の鋭い分析が一つ一つ晴らして行きます。選挙戦をひもとき脱原発、同性婚、反汚染から世論の動きをあぶり出します。

 

   そして民進党はなぜ大敗したのか。中国の強かな戦略、蔡英文総統の求心力低下、更にはそれがもたらす台湾の好ましくない未来(台湾は北京語の実験場と化した、、等)を、水面下で始まっている静かな変化のひとつひとつを丁寧に掬い上げながら描いて行きます。

 

  最後はそんな台湾の変化がジワジワと日本にもたらす影響を予測し講演は締めくくられました。

  講演後の茶話会では、先生の語り足りないトークが更に炸裂しておりました。

 

以下、当日のレジュメより題目ピックアップ致しました。

 

1. 地方選挙・国民投票総括

   票の分析

   民進党大敗の原因

   地方選挙結果よりも大問題:国民投票、その後の民進党の錯乱

2. 今後の展望

   好転材料?

   国民党は復活か回光反照か?

   次回総統選挙?

   国民党政権復帰?

3. 国際環境の中の台湾(朝鮮・沖縄)

   タイミングとして絶対に負けてはいけなかった

   中国の情報工作の浸透

   日清日露の時代の反覆

4. 台湾の「失敗」から考える意味

   住民投票の落とし穴

   民主主義による民主主義の否定

   独立国・民主主義と「民度」:南朝鮮・台湾・沖縄の運命

5. 日本自身を考える

   戦後国内外体制の制度疲労

   台湾・北方二島の包摂

 

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20190209 第58回集いを開催致します

台湾の地方選挙と国民投票

〜その結果から日本が考えるべき事〜


講師: 酒井亨氏(公立小松大学准教授)

 

   台湾の統一地方選挙は中国国民党勝利のうちに終わりました。同時に行われた公民投票では台湾正名賛成が半数に満たず、福島を含む5県産食品輸入禁止継続、脱原発反対、同性婚の民法規定に反対など中国国民党主導の提案が支持され、民主進歩党政権が台湾住民の支持を得られませんでした。 

 

   2016年総統・立法院選挙の結果、蔡英文政権は完全執政と言われ中国国民党はもう立ち直れないとまで言われてから2年しか経っておらず、またアメリカを始め西側諸国とのかつてない好意的な関係の中でこのような結果を招いてしまいました。台湾社会は一体どうなってしまったのでしょうか。「核食」などと呼称した輸入禁止継続は、5県関係者に大きな失望をもたらすだけでなく河野外相は「極めて残念で、あらゆる選択肢を視野に対応する。当面は科学的根拠を十分に示して台湾側に働き掛けるが、WTOの紛争解決手続きに進むことも排除しない」と表明しました。台湾が参加を希望してきたTPP11への日本の協力も極めて困難になると思われ、にわかに暗雲が漂ってきました。 

 

 「華為」問題に象徴的に現れているように、米中二大国のせめぎあいが今後ますます激化すると思われます。こうした状況下で日本の安全保障を考える観点から、今回の台湾住民による政治選択を日本人としてどのように考えたらよいか学びたいと思います。

 

  今回講師は台湾在住11年の経験を有する酒井亨先生にお願いしました。酒井先生は陳水扁政権以降の民主進歩党内部を直接知っている唯一の日本人です。先月の選挙前後に加え、来月も訪台し現下の台湾情勢リサーチされます。台湾政治にご関心のある方には大変貴重な機会ですので、ご予定してくださると幸いです。 

 

 講演・意見交換後は茶話会による交流会を行います。 


開催日程等

開催日程:2019年2月9日(土)

開始時刻:13:30〜17:00(13:00受付開始)

参加費: 1,000円

定員:  60名(先着順)

主催:  日本と台湾を考える集い事務局

     e-mail:  t.forum.kansai@gmail.com                    facebook:  日本と台湾を考える集い

当日の講演テーマ

〜台湾の地方選挙と国民投票〜

 

米中貿易抗争が激化している中、台湾の地政学的な役割は益々増して来ております。政権が国民党の手に落ちつつ有る今、日本は台湾とどう向き合うべきか。東アジア情勢を占う1年となる今年の集い第1弾に相応しい企画です。ぜひお誘い合わせの上、お越し下さい。

 



開催場所

名称:フラッグスタジオ

住所:大阪市西区江之子島2-1-37

   阿波座ライズタワーズフラッグ46 1階

最寄り駅:

地下鉄:「阿波座」駅8番出口から西へ約150m



 お申し込みはコクチーズから!



参加申込みは↑

主催:日本と台湾を考える集い事務局

https://tsudoi-jptw.jimdo.com/

 

日本と台湾を考える集いは日台の相互理解の促進をめざし、関西を中心に活動をしている場です。

日台の歴史・政治・文化等幅広い課題を取り上げ、学びの場として集いを開催しています。

連絡先:080-1403-3578(近藤)

 

集いでは運営のお手伝いをしてくださるスタッフを募っております。

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