去る9月21日、台湾道教の聖地・獅頭山にて、廣枝音右衛門氏慰霊祭が実施されました。
当集いからも、事務局員MZ氏が現地ツアーに参加。
廣枝音右衛門氏の冥福を祈るとともに、惜しくも慰霊祭直前に亡くなられた、当時を知る最後の生存者だった劉維添さんの亡骸にも対面。劉さんのご冥福をお祈りしました。
それでは、MZ氏入魂のレポートを、どうぞ!
9月21日に念願の廣枝音右衛門氏慰霊祭ツアーに参加させていただきました。
参加者は総勢39名。主催者の渡邊崇之氏、片倉佳史さんご夫婦、産経新聞台北支局長の吉村氏、日本李登輝友の会、友愛会、留学生の方々が中心でした。
私自身、廣枝氏に関する知識は皆無に近く、小林よしのり氏の「台湾論」で500名の日本兵台灣人の命を救った日本人として掲載されていたこと。
また、かなりの「イケメン」で私の知り合いの女性がファンであること(失礼)
ほとんど廣枝氏に関する知識は持ち合わせていなかったのです(;_;)
戦後、68年を経てもなお台灣人の方々に慕われている廣枝氏はどういう人物であったのか?
道中のバスの中で解説を聞いているうちに浮かび上がってきたのは、一言でいうと博愛精神に満ちあふれた人物であったことです
○ 部下を決して怒ったり、叱ったりせず叱るべき時は常にゆっくりと、かつ、しっかりした口調で諭していた。
○ 戦闘中では、重傷を負った部下たちを抱き寄せ、大声で名前を呼び、目には涙をためながら励まし続け、迫撃砲弾が降り続く中、危険を顧みず5キロも離れた病院へ重傷者達を自ら護送した。
○ 当時の警察官は単に治安維持だけではなく、民衆の教化全般まで担っていた。
極度な法治偏重主義に陥らず、慈愛を持って接し、民衆との信頼関係を築いて教化するという高度なバランス感覚が求められていた。
決して捕虜になることなど許されなかった時代で、廣枝氏は捕虜になっても「生きて帰ること」を部下たちに命令したのである。
廣枝氏最期の言葉
「いいか。お前たちは生きろ。お前たちは台湾人だ。故郷には、お前たちの帰りを待っているお父さんやお母さん、家族がいる。俺は日本人だ。俺だけが責任を取ればいい。どんなことをしても、お前たちは必ず生きて台湾へ帰るんだ」
時には命令に背いても、法を犯しても成し遂げねばならぬことがある。真に守るべきものは何か?自らが果たすべき役割は何か?廣枝氏はその答えをはっきり分かっていた。
当時を知る最後の生存者であった劉維添氏が、正に慰霊祭の当日、お亡くなりになりました。
私は劉氏の亡骸に対面させていただきました。
とても安らかなお顔でした。
「後を頼む」そういって私に語りかけている様な気がしてなりませんでした。
「任せてください。安らかにお眠りください。天国で廣枝隊長と、ご再会をお果たしください」
私は心の中でそう呟きました。
(文責:事務局員MZ)
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バナナ父 (木曜日, 26 9月 2013 20:02)
私は劉維添さんには一昨年の慰霊祭でお目にかかりました。
廣枝さんを紹介されたとき、感極まって嗚咽されながらお話されていたのが印象的でした。
今月22日に映画「台湾アイデンティティー」を観たのですが、エンドロールの協力者欄に劉維添さんのお名前を拝見した時、前日の慰霊祭に思いを馳せたところでした。
まさにその日に亡くなられたとは、心からご冥福をお祈りいたします。