(文責:ふぉるもさライダー)
『台湾で楽しむバイク旅』
(1) 飛び込みでスクーターの貸出に成功! 関子嶺温泉へ
「我是哈台族的日本人。」(発音が下手なせいで、一度で聞き取ってわかってもらえることは少ない。)
毎回の「日本と台湾を考える集い」でいろんな台湾情報に接しながら、私自身はもう1年あまり訪台できていない。
そろそろ禁断症状が出るかもしれないので、南台湾でゆっくりできるところに行こうか。
2012年10月。土日を挟んで4日間の休暇を工面し、自称「湯治旅行」に出かけることにした。
今回の相棒 光陽機車(KYMCO)125cc台湾製。 騎行超爽!
台湾四大温泉のうち、北投と四重渓には行ったことがある。今回は関子嶺温泉を、台南を起点に訪ねてみよう。そう考えて台南に着いた夕方にまず地図を買った。しかし、実際に台南まで来てみると、さすがに台湾有数の都会である。郊外に快適な二輪天国が待っていることはこれまでの経験上わかっていても、広い市街地を抜けるまで、あのバイク洪水の中を緊張しながら運転するのは大変だ。結局、台南からいったん台湾鉄道(=在来線)で嘉義に向かい、そこでレンタルスクーターの交渉をすることにした。
意外なことに、台湾へ日本の国際運転免許証を持って行っても効力がない(無免許と同じ扱いになる)。そのかわり、JAFが公益財団法人 日本台湾交流協会を代行して日本の免許証の中国語訳を作ってくれる(手数料3,600円/消費税10%込み)。これを免許証の原本と一緒に持参すれば、日本で運転できるのと同じ車種を台湾でも運転できるのだ。
レンタルバイクを利用できると旅の楽しみ方がうんと広がるのだが、台湾で外国人が借りる際にはハードルが高い。もし交通違反があると、反則金は貸したバイク店に後日請求される。旅行者は違反した自覚もなく既に帰国しているかもしれない。連絡がとれなければ、その費用は本人に請求できず店が負担することになる。そんなわけで、台湾島内に知人(保証人になる人)がいない外国人旅行者への貸出は店が嫌がるのが一般的だ。
私がはじめて台湾でバイクを借りた屏東では、出発前に旅行社から予約を入れておいた。二度目の花蓮では、日本人には貸し渋るとの情報を地元の民宿から得て、台湾観光協会大阪事務所で相談したところ、ご親切に電話を一本入れていただき、目当ての店で何とか借りることができた。予約もせずにぶっつけ本番で借りるのは、実は今回がはじめてであり、当然、かなりの困難が見込まれた。
台湾に保証人を確保できず、中国語もほとんど解せない私は、普通ではなかなか貸してもらえないだろう。そこで、一計を案じた。伝えたいことを箇条書きにした中文訳を出国前にあらかじめ用意して持参したのだ(陳美蘭超級老師真多謝)。そこには、「125ccを借りたい」「保険にも入りたい」という希望や、自分はこれまでに屏東で借りて懇丁まで行ったとか、花蓮・台東間も往復したなどと台湾での運転実績を強調し、ふだんはナナハンに乗っているライダーであることなど、思いつくことをいろいろ書き連ねておいた。
嘉義駅前のレンタルバイク店。
「機車出租」の看板が林立する。
嘉義駅前の「機車出租」店で、にこやかに話しかけてきた店員にこの紙を見せると、「うちの店には保険はない」とのこと。保険なしはさすがにまずい。交差点の向こう側の店に行くように教えてくれた。言われた界隈には何軒も店が並ぶ。店頭の原付スクーターに張られた値札をいかにも興味があるように見て回る私に、兄ちゃんが近づいてきた。言葉は100%中国語だ。英語は話さないと言う。とりあえず例の紙を見せると、「よっしゃ」という感じで、ここにサインして、と宿帳のような用紙を速攻で差し出すではないか!
ホンマかいな? そんなに簡単に貸していいのかと、こちらが心配になったほどである(笑)。
相手が貸す気まんまんなのはありがたいものの、中国語でしか意思疎通ができないのは実に不便だ。なんとか筆談で、「保険は加入しなくても車両に付いている」ことを確かめ、給油の時は「オクタン価98のガソリン」を入れる、まで理解できた。でも、「満タン給油で返すのか」聞くとどうも違うらしい。・・・当方も相当にいい加減なカタコト英語だが、少しだけでも英語を使ってくれればという願いもむなしく、彼は見事に中国語しか話さない。「何かあったらここに電話するように」とたぶん言っているのだろう、電話番号を書いた自分の名刺をよこす。電話をかけると言ったって、中国語で話さないと通じないんだよね? 我不会説中国話・・・。(隣のお店なら、もしかして少しは英語で意思疎通できるかも・・・。)そういう誘惑にかられながら、結局この兄ちゃんから借りることにした。
ここまできたら、台湾人お得意の「だいじょぶ・だいじょぶ」モードを見習うしかないさぁ。
貸出申込書に拇印を押し、レンタル料300NT$を支払う。日本円にして約780円。桃園国際空港から台湾高速鉄道(=台湾新幹線)桃園駅までのタクシー代と同じだった。
エンジンのかけ方、シートと給油口の開け方を確認し、いざ出発!
関子嶺へ向かうのどかな道。
こういう風景に出会えるのがバイクの旅のいいところ。
嘉義から関子嶺温泉へは、白河という町を通る。白河の手前で〔←関子嶺風景区〕の案内標識を発見。迷わずに従った。両側に並木が続く気持ちのいい道に入る。(後日、地図を見て気づいたが、この快適な道には「竹門緑色隧道」(南90)と記載されている。)
名勝の水火同源に寄り道して、かぼちゃ入りビーフンで軽く腹ごしらえ。
嘉義から一時間半で目的地のキングスガーデンヴィラ(景大渡假荘園)に到着。
泥湯のジャグジーバス。 真爽快。
(景大渡假荘園)
泥湯につかりながら、台湾人ビジネスマンとカタコト英語で会話。通じるとやっぱり楽しい。休暇で来たことはわかってくれたが、こちらが一人旅であることをとても不思議がられてしまった。うーむ。
そういえば、台南の茶芸館・耕讀園でも、とびっきりのくつろぎの時間と空間を一人で過ごすのはちょっと寂しかった・・・。
今回の旅では、これまで台湾で未体験だった茶芸館と素食店をようやく訪ねることができた。それに、(もっぱら筆談だけど)中国語だけでスクーターを調達できたことは、とても大きな成功体験になった。地方都市なら、今回の方法で足を確保できそうだ。
いっぽう、ライダーとしての密かな課題「檳榔西施のいるお店に入って冷飲を買う」は、またしても達成できず、次回の訪台時につなぐテーマとなった。
また、今回は残念ながら日本語世代の方とお会いできなかった。ひとつのきっかけづくりとして、短歌を勉強してみようかなと考えてみた。例えば「台湾歌壇」の皆さんの日本語は、本当にきれいだ。あのような格調高い歌が自分にも詠めるようになるといいなぁ。
(2) 南台湾での素敵な出会い
2015年4月。台湾好きのライダー仲間のKさん、Sさんと台湾鐵道の三義駅に降り立った。私にとって9度目の訪台だ。
Sさんが日台合作映画「南風」にいたく感じ入り、日本統治時代の鉄道遺産・龍騰断橋をぜひともバイクで見に行こうと言ったことから、この計画が始動した。名付けたミッション名は「南風機車隊」。
すでに昨年秋に予行演習を兼ねて、広島県尾道でスクーターを借り、しまなみ海道の原付道を通って愛媛県今治までを往復する1泊2日の旅を敢行済み。今回が本番だ。奇しくも、「南風」のラストシーンはしまなみ海道だから、我々は順序こそ違え、映画のロケ地を辿っていることになる。
三義駅前のレンタルバイク店に行くと、確かに予約は入っていて、各自申込書への記入をはじめた。ところが、行き先をリゾート地の日月澶(にちげつたん)だと告げた途端に店の対応がおかしくなった。日月澶に行くことは予約メールで最初に伝えてあるのに、「遠すぎる」としきりに言っているようだ。往復してもせいぜい250kmの行程だ。中型・大型の二輪免許を持ちバイクツーリングを趣味としている我々にはそれほど無理な距離だとは思えない。
埒が明かず、今回予約にあたってお世話になった台湾歌壇の知人(台湾人)に電話をかけて、店の人と話してもらった。その結果わかったのは、どうやら、ここ三義は苗栗県だが、日月澶のあるのは台中市をはさんださらに先の南投県のため、そんなに遠くまで行くなら貸せないということらしい。以前花蓮で借りた時には、台東・知本温泉まで行く私に「じゃあよく走るバイクを貸そう」と言ってくれたのとは大違いだ。
だが、そういう店のルールなら仕方ない。まる2日間借りる予定を急きょ短時間のレンタルに切替え、いちばんの目的だった龍騰断橋に3台で向かった。
台鉄が縦貫線 (台中線 = 山線) を全線開通させた1908年に赤レンガのアーチ橋が作られたが、1935年に発生した大地震で崩壊。1999年の921大地震でも更に一部が崩壊。これが現在、三義の観光スポットとして保護されている龍騰断橋だ。
歴史の重みを感じさせるとてもいい空間である。お約束の写真を心ゆくまで堪能したのは、言うまでもない。
龍騰断橋
三義と龍騰断橋を往復する間には、台湾鐵道でいちばん標高の高い勝興駅を通る。ここも人気のポイントだが、立ち寄りもせずに出租機車店へと急いで戻った。バイクで行けなくなったなら、日月澶へはせめて二水から台鐵の集集線(本数が少ない)を利用して向かいたいからだ。台中で集集線の1日周遊券と台鐵弁当を買い求め、バナナやヤシの畑を眺めながら車中でパクつく。集集駅で途中下車し、駅前の水果店(果物屋)で地バナナとパパイヤを購入。水里駅で豊栄客運のバスに乗り継ぎ、無事に日月澶に到着。渇水で湖の水位が下がっていて、記憶にある日月澶のイメージとずいぶん違う。聖域のラルー島の石段が見られた。珍しい光景に違いない。
また、冬のごちそうだと思っていた「パイナップル釈迦」に、日月澶の水果店で驚きの遭遇。熟れたのをおばちゃんに選んでもらって、ホテルで食した。
釈迦(釈迦頭)は、とても甘くておいしい果物である。「鳳梨釈迦(パイナップル釈迦)」はそこに酸味が加わり、甘さと酸味が調和してさらに一層うまい。
ちなみに、「パイナップル釈迦」は、パイナップルと釈迦を掛け合わせた果物ではない。「パイナップルの酸味のある釈迦」という意味ではなかろうか。
沖縄では、「アテモヤ」として台湾よりも小ぶりのものが生産されている。
左:水果店の店頭 中央:甘い「釈迦」(オフロードタイヤのブロックパターンのようにゴツゴツしている) 右:甘酸っぱさが絶妙な「鳳梨釈迦」(すり減って溝がなくなりかけたタイヤのようにツルツルしている)
帰路は台中まで南投客運のバスを利用したため、バイクで立ち寄る予定だった谷関(くうかん)温泉には行けずじまい。代わりに、浮いた時間を使って、台中の新スポット「彩虹眷村」に向かい、カラフルな写真をたくさん撮った。
眷村(けんそん)というのは、大陸で国共内線に破れて台湾に逃れてきた中国国民党の軍人や公務員などのいわゆる外省人が居住した地区。台中にあるこの眷村も、老朽化が進み、再開発計画で取り壊される予定だった。ところが住人のひとりの老人が突然家の前にペンキで絵を描き始めた。たちまち人気の撮影スポットになり、彩虹眷村 = 虹の村 と呼ばれるようになった。保存をよびかける市民の声に、台中市長は再開発地区からはずすことを約束。
一帯を 公園として整備することが決まっている。
彩虹眷村
ちょっとした出来事が起きたのはこの帰り。タクシーがどうしてもつかまらず、通りかかった警察署で呼んでいただけないかお願いすることにした。応対いただいたのは綾瀬はるか似(!)の婦警さん。なぜか我々は、彼女と上司の人と一緒に写真に収まることになった。日本人がそんなに珍しいとは思えないが、まるで湾内に誤って迷い込んだ3頭のイルカのように丁重に保護されて恐縮。
警察署の前でタクシーを見送ってくれる婦警さんに手を振り、無事に台中市内に戻ることができた。またしても台湾の人に感謝。感謝。
(番外編) ~台湾の女子高生との出会い~
この旅を通していちばんの思い出となる出来事が最終日にやってきた。
午後便で大阪へ戻るため、高雄空港に13時に集合することにして、約2時間弱の自由時間を設けた。KさんとSさんは、台湾華語のテキストを探しに高雄市内の誠品書店へ。
私は高雄駅のコインロッカーの金額がわからず、通りかかった女子高生に話しかけた。これがきっかけで、思わぬ体験をすることができたのだ。
実は、私は台湾映画「KANO」を台北で1回、大阪で2回、京都で更に1回見た大ファンである。昭和6年。この年の中等学校野球大会には、満州代表の大連商業、朝鮮代表の京城商業と並んで台湾代表の嘉義農林(かぎのうりん = 通称「かのう」)が出場していた。それまで全く勝てなかった弱小チームの嘉義農林が、甲子園に初出場し準優勝するまでの活躍をさわやかに描いた映画が「KANO」だ。
機会があれば「KANO」Tシャツを高雄で購入しようと考えていた。ところがそれを置いている「高雄市電影館」は、なんと開館時間が13:30であることが判明。
どうしようとタブレットを眺めている私にさきほどの女子高生が「大丈夫でしたか」と話しかけてくれた。それで、つい、自分の考えていた計画を話したのだが、耳を疑う言葉が彼女から発せられた。「そのTシャツ、私たちが買って送りましょうか?」と・・・。
今会ったばかりの外人に、そこまで優しくしてくれるのが驚きだが、ここは厚意に甘えることにして、住所とメールアドレスを交換した。Tシャツの代金と送料に見合う額に加え、友達と4人一緒の彼女に、「お茶でもしてね」と伝え、多めの金額を預けた。
念のため付け加えるが、やりとりは拙い英語と筆談である。
それから数日。届いた郵便小包には、Tシャツのほかに「KANO」のトートバッグが入り、お釣りとパイナップルケーキが添えられていた。
事前にメールがあり、私に確認せずにバッグを買ったお詫びと、台湾を好きでいてくれることが嬉しくてみんなの気持ちとして(自分達で買って)パイナップルケーキを添えた旨が説明されていて、胸が熱くなった。
その後のやりとりでわかったのだが、彼女たちは、もうすぐ屏東の高校を卒業する3年生で、大学への入学が全員決まっている。出逢った日は映画を見てどうしようかと言っていたところに私が現れて、急きょ高雄市電影館に行くことになったが、結構楽しかったそうだ。
屏東は、私がはじめて台湾でスクーターを借りて旅した地。竹田から四重渓温泉、懇丁、三地門へと回り、楽しかった記憶が蘇る。
ここまでしてもらってそのまま済ませたら、「哈台族的大阪人」の名折れだ。阪急百貨店で人気のお菓子を並んで買い、布製ブックカバーと松伯美術館のミニ便せんを4人分詰めて屏東へと送り出した。台湾に行くたびに現地の人の優しさに触れて感謝させていただくが、今回の体験は、かってない感動を与えてくれるものだった。
「英語を勉強するいい刺激になりました。がんばっていつか日本語も勉強したいです。」と書いてくれた彼女たち。こちらからのささやかなプレゼントを手に学校で写した4人一緒の笑顔の写真もその日のうちに送信してくれた。ほんとうにありがとう。
多謝。多謝。加油。
待望の 「KANO」 Tシャツ届けられ
南の女性(ひと)の はからい優し
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台湾大好き (日曜日, 31 5月 2015 11:00)
メインのところはもちろん、お弁当を食べながらの集集線ののんびりした様子を想像して思わず「いいなぁ~!」と呟いてしまいました…KANO、3回見ましたが上手がいたとは!台湾の良さがギュッと詰まった楽しいお話、ありがとうございました!
ふぉるもさライダー (日曜日, 31 5月 2015 23:07)
台湾大好きさん、コメントありがとうございます。
少しでも楽しさのおすそ分けができたなら、何よりです。
集集線で食べた台鐵弁当、本当においしかったですよ。
(乗り継ぎの関係で、お昼を食べ損ねて2時過ぎでしたし・・・)
実は、個人的に台湾のパパイア牛乳が大好きなので、弁当と一緒にいただくつもりで購入しました。
すると、それを見つけた連れのKさんから「ひとりだけいいことをして!」と真顔で叱られました。とても印象的でした。
(Kさんもファンだったんですねー。パパイア牛乳を買い足しに売店に戻られました・・・。)
真島久美子 (月曜日, 01 6月 2015 19:58)
読んでいて、私まで現地の風を感じられるようなコラムでした。
台湾の魅力は、手作りの旅行と、知り合う人々との触れ合いなんですね。
今まではツアーしか知らないので、とてもうらやましく思いました。
次回は花蓮に行く予定です。
ツアーではなく、個人旅行で。
こんな風な素敵な出会い、体験があるといいな、と思いつつ・・・・。
ふぉるもさライダー (月曜日, 01 6月 2015 23:01)
真島様
コメントありがとうございます。
確か、KANOは5回鑑賞されてましたね。
花蓮、いいですね-。
日本人の経営する民宿がありますよ。台湾人の奥さんはタクシードライバー。
むかし花蓮神社だったところで、地元の皆さんが早朝ラジオ体操をされています。
なぜか戦前のものなので、今のとはひと味違って、かけ声だけ・・・。新鮮な感じがします。
みまる かおる (水曜日, 01 7月 2015 12:52)
素晴らしいレポート、ありがとうございます。
読ませていただいてウルウル来てしまいました。>高雄駅での番外編。
そんな素晴らしい出会いが出来たこと、三義駅前のレンタルバイク店に感謝しなければ。。(笑
実は私もいつか台湾をバイクで一周したいなと思っています。 できればスーパーカブで・・・(^0^;)
機会があれば台湾のバイク事情(レンタルバイク事情になりますか)、などお教え下さい。
ふぉるもさライダー (金曜日, 10 7月 2015 01:18)
みまる かおる 様
コメントありがとうございます。
バイクで台湾一周、素敵ですね。
私もいつか是非、実現したいです。
(長期の貸出に応じてくれるお店を探さないと・・・)
スーパーカブ派ですか・・・
出租機車店に置いてるかなぁ(笑)
もし今お持ちの二輪免許が原付の場合、可能なら、日本で小型二輪の免許を取っておくことも検討されてはいかがでしょう。
理由は、次のとおりです。
(1)車種の選択肢が増える・・・店頭の貸し出し在庫がスーパーカブ90cc (?) だった場合でも借りられます。
(2)車の流れに合わせて走る方が安全ですが、原付(一種)では性能的に可能でも、交通ルールに違反することになります。・・・台湾の自動速度取締り機は、右ナナメ後ろから撮影するので、バイクも逃げられません。
山さん (金曜日, 20 4月 2018 16:47)
2018年4月14日日月澶へ行ってきました。台中からバスで行き、日月澶のホテルで休憩後、様々なプランが盛り込まれたチケットを買い、先ずは船に乗って対岸のロープウエイに乗ってと思ったのですが、急な土砂降りで断念、翌日はタクシーをチャーターしてロープウエイに乗り、これがまた超近代的で快適な乗り心地と湖を一望できる絶景を堪能。
終点に到着後九族(様々な原住民)の生活様式を見ることが出来る大きなテーマパークのような広大な公園を散策し、台湾の古き伝統や、当時の自然との向き合い方を垣間見たようで来た甲斐があったと満足してまたバスにて台中へ戻りました。、