20180210 第53回集いを開催致しました!


〜日本を思ひ、台湾を想ふ〜

 

 日本は後10年持つだろうか?

 

 そんな衝撃的な一言から始まった第53回日本と台湾を考える集い。

 一瞬凍り付いたような会場の雰囲気を伊原先生の熱い息吹が急速に溶かします。過去の総括は(未来を造る上で)極めて大事、と穏やかな語り口から始まった講演は複雑極まる近代史を先生がこれまで積み上げて来た知の巨塔から1ページ1ページ丁寧に選りすぐられ、判り易く語られる事により聴講者の胸に沁み入ります。

 

 「日本は戦争に突き進んだのではない、巻き込まれたのだ」。

 これまで我々が学んで来た歴史教科書とは違う切り口から時の大戦を分析し、語る眼光から発せられる暗黙の警鐘、「正しく学び、進む道を間違う勿れ」。東アジアの安定に日本が果たす役割、台湾の抱える課題、緩急織り込み時折聴講者に投げかけられる問いに会場は静かな熱気に包まれました。

 

 

 

 「ニッポンのためにがんばれよ」

 それが祖父が私に語った最後の一言でした。

 

 第2部はグラフィックデザイナーである河田先生の台湾愛。教育者としての一面をお持ちの先生はふとした事から台湾との接点を持ちます。台湾好きならご存知の五月天。中国への駐在を命じられた先生が事前に予習をと手にしたのは台湾のロックバンド、Maydayのアルバム。そこから先生の台湾愛は始まります。旅行を重ね台湾愛が深まったある日、3月11日を迎えます。台湾から短期間で巨額の義援金が集まった事に衝撃を受け、先生の台湾愛は深化を遂げます。

 

 台湾を知ることは日本を知ること。台湾の歴史を知り、日本の歴史を知り、更に教育者として父親として日本の行く末を考えた時、その台湾愛は遂に自身のルーツ、祖父へ辿り着きます。先の大戦へ出征されていた祖父の遺品は当地での苦労を語り、もっと生前に話を聞いておくべきだったと悔やむ先生の講演は冒頭の祖父の言葉で締めくくられます。

 

 日本の行く末を案じる知の巨人の「問い」と先生の「台湾愛」はここで図らずも邂逅を果たしますー。


講師ご紹介

 

伊原 吉之助先生(帝塚山大學名譽教授・21世紀日本アジア協会会長) 

* 以下「21世紀日本アジア協会」ホームページより抜粋

 

昭和5 (1930) 317日、大阪府堺市生れ。弱電技師を目指して大阪市立都島工專電氣科(大阪市大工學部の前身)に學び、電氣より人間に興味ありと悟つて哲學青年になる。社會について學ぶため、昭和25(1950)年、新制神戸大學經濟學部に入學、昭和 34(1959)年に同大學院經濟學研究科(博士課程)修了。學位=經濟學修士。專攻=社會思想史 (歐米・日本・中国)

 

定年退職後、日本・中國・台灣・歐米を文明史の觀點から見直し中 (現役時代より猛勉中!)著作、論文・評論に極めて多数。とりわけ『台灣の政治改革年表・覺書』 (帝塚山大學教養學部紀要)1943年以降現在まで精緻な分析の集大成として台湾側からも活用される貴重な資料となっている。趣味は神戸大學グリークラブ等に参加、モットーは「唇に歌を、心に太陽を」

 

伊原吉之助教授の読書室 (21世紀日本アジア協会) 伊原教授のお勧め本紹介などなど。

 

 

河田 悠輝先生(グラフィックデザイナー)

台湾浪漫

にて台湾に関するブログを綴られております。台湾愛に溢れるページです。

 


当日の内容ご報告

講演1  「今の世の中 台湾と米・中・日」

 

      伊原吉之助先生   (先生の講演を事務局でとりまとめたものです。)

 

 十数年後の日本がとても気になる。このままで持つのかどうか。なぜ日本国民がこんなに鈍感になったのか。国際情勢を話したい。現在は、じっくり読み込みじっくり考え自分の考えをまとめる、のではなく、ネットで情報をつまみ食いする時代なので、人間はみんな小粒になった。情報がありすぎて、信頼できる情報かどうか真偽が判断しにくい時代になった。

 

 大東亜戦争を「日本が悪かった」と考えるか「日本は悪くなかった」と考えるかで今後の方向が変わる。そうすると、過去を正しく総括することがきわめて大事なのに、自虐史観をいまも広めている連中がいる。

 

 教養のある人間は、正字、歴史的仮名遣も使えないとだめだ、というのが私の持論だ。

「他人事」にふりがなをつける際、「ひとごと」が正しいが、NHKでさえ「たにんごと」と誤用する。「たにんごと」という言い方はない。核家族化で祖母祖父と同居しなくなった子供達に、日本の「良いこと」が伝わらない。学校でも日本は国語に割く時間が少ないため、今の日本の子供には正しい日本語が身につかない。

 

 明治以来、日本は東アジアの安定勢力だった。日本がしっかりすれば東アジアが安定し、世界も安定するという関係がある。

   21世紀日本アジア協会のHPに「伊原吉之助教授の読書室」というコーナーがある。2007326日付で、以下の記事を載せているので、読んでほしい。 

           ↓

 

 動物文明から植物文明へ転換しよう/ 力と闘争 より 美と慈悲 を優位に

 http://jas21.com/athenaeum/athenaeum9.htm

 

    日本は、明治以降に指導者教育をやめたのがまずかった。高度成長のあと、次世代の若者教育がおかしくなった。それまでは日教組の偏向教育があっても、現役世代ががんばっていた。

   レーガン大統領は、日本を経済戦争の本当の敵とみなしたプラザ合意以来、いまだにアメリカが構造改革の要求をしてくる。

 日本はルーズベルトに戦争へと挑発されて逃げられずに負け、レーガンに円高誘導され経済戦争に負けた。二度、アメリカに負けている。「日本を弱いまま属国で置いておこう」という考えはいまもアメリカに根強い。

 

 支那人は蔑称ではない。中華民国以降を「中国」と略するのはまだいいとして、なぜ清朝を中国というのか。「支」の字を使うのは日本が本流、他が支流のようで良くないとされ、戦後に使わなくなった。家康が豊臣家を攻撃する口実にするため、鐘の銘に〈国家安康〉の文字があるのは〈家康〉を分断する文言だと難くせをつけたのと同様のゴリ押しだ。なぜ英語読みの「チャイナ」を日本人も言わないといけないのか。歴史を通じていう場合、私は支那という。

 

 アメリカのフランクリン・デラノ・ルーズベルト(F・D・R)大統領は社会主義者で、妻は共産主義者だった。 事務局注1)

    国際金融資本は儲けの障害になるため国境を嫌う。この点が共産主義と共通している。それで、F・D・Rはソ連スパイを支援していた。最初の大統領選挙の際、娘婿が選挙参謀を引き受けた。その後、娘婿は「おやじさんは誰かに操られている」と感じて離れ、後年、「操られたルーズベルト」の本を書いた。F・D・Rはドル札の印刷機・用紙などをセットでソ連に送っていた。それで刷ったドル札を使ってソ連はアメリカで各種の工作を行った。F・D・Rは大犯罪者である。

 

    日本人は開戦前に突きつけられたハル・ノートの内容を暴露すればよかったのに、黙ったまま戦争に向かった。

   

    戦犯の第一号がF・D・Rと言えるが、アメリカの学会はF・D・R批判を今も封印している。スターリンは、外国人も資本家もともに信用していなかった。アメリカを信じずに冷戦へと進んだ。アメリカのF・D・Rがソ連を支援していたことは記録されるべきだ。

 

     我が国は「国賊」だらけだ。反日日本人が国の中枢にもいる。北朝鮮系の学校に国有地を貸与していたなど。北朝鮮工作員を逮捕したら自民党上層部から釈放圧力がかかったことがあった。それ以降、どんどん拉致してよいのメッセージになった。

 

    GHQは、戦後、「日本の警察権力は第三国人に及ばず」と言い、朝鮮人関連の暴動が相次いだ。事務局注2)

    GHQによる日本占領が7年で終わり、警察の権力が三国人にも及ぶようになると、朝鮮系は大挙して沖縄へ移住し一坪地主になった。いまも反基地闘争にハングルが出る理由がこれだ。日本ではいまだにいろんな機関(報道など)が占領政策を守っている。毛沢東はアメリカが中国に攻め込むのに備えて対日工作をはじめた。

 

    台湾 日本と運命共同体

 

   中国が第一列島線を超えて太平洋へ進出するためには、尖閣と台湾を取る必要がある。チベット、ウイグルは「自治区」という名前だが、実態は違う。日本・台湾ともにアメリカの従属国だ。(外交と防衛を外国に委ねているのは他国の属領ということになる。)従って荷物になればいつでも見放される。

 

   吉田茂がひとりで講和条約に署名した責任は重い。占領軍は治安維持だけ行うのが普通なのに、日本の占領では制度をいじりまわった。「アメリカ占領時代の法は全部取り替える」と日本が宣言すればいい。「新憲法は廃止して、不文憲法でいく」という選択でもよい。「改正」というと基本は正しいと認めることになる。反日日本人に足を引っ張らせてはいけない。日本は憲法を変えずに、解釈憲法として適用の仕方を調整してこれまでやってきた。これで法治国家と言えるのか。吉田茂は、米軍が定めた法律を無効として米軍に帰ってもらい、その後に安保条約を結ぶべきだった。米軍人が自由に(出入国手続きなく)ノービザで移動できる。これが、日本=属国のあかしだ。

 

   日・台ともに売国派が実権を握ると大変なことになる。

   老 / / の三世代構造があるのは日・台に共通する状況。

   日本の中年世代は、日教組の教育に毒されて反日日本人が多い。

 

   台湾でも中年世代は日本語世代(老)の下の世代にあたる。蒋介石の反日教育を受けているので反日の人も多い。

 

   馬英九が中国人の台湾観光を認めたことで、台湾で中国人を見かける機会が増えた。それを見た台湾の青年達は、「こんな連中と我々が同じはずがない」と実感してみな中国人嫌いになった。それが、「天然独」と呼ばれる若手世代。

 

   次世代教育が大事なのに、日本では明治維新以降の現代史を教えない。邪馬台国ばかり教える。今年は明治150年。江戸から数えて400年だ。そういう認識のしかたの方が大切。庶民まで文化を楽しめるようにしたのが江戸時代で、江戸時代の庶民は読本(よみほん)を喜んで床屋で読んだ。

 

   漢詩はルール、漢字、古典の知識が求められるので、詠むには相当な知識レベルが必要。

   日本の漢字かな混じり文は速読でき、複雑なことを表現できる。

   金田一春彦は、岩波新書で「日本語に驚嘆する」と言っている。

 

   強い対中依存のもとで台湾経済が空洞化したために、蔡英文になってから成長率が上がったが若者の就職が良くない。(既に企業が残っていない。)

  これが台湾の大陸への経済進出をやりすぎたツケ。

  技術も資本も摂取されて戻らない構造にある。

 

  中国共産党政権は、生体解剖、外国人への臓器売買で大儲けしている。ナチスを非難する人はいても、それ以上のことをしている中共を非難できないマスコミ。中国は常識で対応できる相手ではない。

 

   戦後、台湾は支那を祖国と誤認したが、あの時、日本敗戦を機に独立すべきだった。228事件では、10万人以上が殺されたと台湾人は主張する。記録は残されていない。『裏切られた台湾』(ジョージ・H. カー著、訳本 同時代社 20066月刊)こういう本はいつでも手に入る状態にしておいてほしい。支那人がどんな人種か知るうえで、日本人が一度は目を通しておくべき本。

 

   蔡英文政権は、米・中の両方からいじめられている。

   台湾は国名を変えたいが、アメリカは中華民国から台湾に変えてはいけない、現状を変更するなと言う。一方、中国は中華民国の名称を使うなと言う。

 

 満州事変以降の領土を是正するのが本来のサンフランシスコ講話条約だったはず。ソ連に千島を取られ、韓国に李承晩ラインを設定され、韓国内で反日教育をされている。

 

 蔡英文政権がめざしたやるべきことは、高率の利子の廃止と、国民党の不当財産の返還の2つ。不当財産の返還は、陳水扁政権の2期目にやっていれば国民党の財産を没収できたが、もう散財、隠されていて手遅れ。国民党は一党独裁なので、陳水扁の不当逮捕に対して、蔡英文は大赦すべき。蔡英文には、国際政治の知識はあるがずる賢さはない。もっと台湾らしさを出すべき。今年3月の選挙が信任投票の意味をもつ。

 

 日本のように有権者の半分が来ない投票は意味がない。民主主義が機能していない。若者が投票に行きたいと思わない国の民主主義が生き生きとしているはずがない。日本は、あれもこれも選挙で禁止して面白くないものにした。台湾では屋台がでる。

 

 蔡英文は再選されないかもしれない。頼清徳行政院長(首相)が代わりに出て通る可能性はある。

 

 プーチンは共産主義嫌いだが一党独裁に近い形態に戻そうとしている。大統領に選ばれる限度に来ており、憲法を改正しないと再選されない。中国と結んでアメリカと対抗しようとしているが、中露はもともと仲は良くない。

 

 中国は、国土を酷使して15億の国民を食えなくして人であふれている。

 世界中に中国人を出してチャイナタウン(無法地帯)をばらまいている。

 日本にも中国領のような住宅地が各地にできている。

 ロシアはろくに人がいない。政府がロシア経済支援をはじめているので北方領土は帰ってこない。

 日本も、もっと悪い勢力に対しては手をつながざるを得ない。

 

 中国共産党は、日中両国民の敵。

 

 朝鮮では安定した国は作れない。李朝は権力争いのみの、かかわりたくない国。朝鮮のせいで外国と戦わされ、大陸に拠点を作らされ、そこを守らされた。日本こそ、朝鮮に補償してもらいたい。近所迷惑もはなはだしい。

 

 習近平の側近は、イエスマンばかり。中国は大東亜戦争の日本の戦い方が、「統一戦線」の逆だと笑う。日本は欧米をみな敵に回して単独で戦った。(日独伊三国同盟はあっても、独伊とも日本を助けに来られる位置にはなかった。)

 

 中国は、2021年に中国共産党の建党100周年を迎える。

 それで、2020年までに台湾を武力接収すると言っている。

 この動きに対して、米国務省は親中で国防総省は親台湾。台湾では、最近アメリカ大使館を建設している。立てこもれる作りになっている。

 

 トランプはハッタリ屋で、最初にいちばん厳しい条件を言い、途中で手を打つ。

 自らを引きこもり主義ではない、と言い、最近、安全保障については戦う用意を見せている。

 

 このような環境の中で、我々は日本をしっかり守らないといけない。

 

  事務局注1)

 ローズベルトとの表記もあり

  

 事務局注2)

 Wikipediaによると、GHQが日本の統治下に置かれていた旧植民地の住民は戦勝国民・中立国民のいずれにも該当しないとして、「third nationals(第三国人)である」と規定したとする説が紹介されている。

 

  (講演後の意見交換での補足解説)

 

  1. 日本の安全保障の現状について 

 日米の安全保障は、本来、対等な連携が望ましいと思うが、日本は情報機関さえ持っていないので自立できていないと認識している。実は、日本の自衛隊は、自衛さえできない。戦車で橋を渡ろうとしても、そうした設計になっていないので重量に耐えられず通行できない。また、敵の上陸地点に部隊を急派しようとしても、特別法がないため、避難民が道路に溢れているうちは道が空くまで進めない。これでは自衛の活動さえできない。これは、アメリカと安保条約を結んでいるので外から攻められるはずがない、の前提で、必要な法整備を行わずに放置してきたため。

 

 また、自衛のためなので最小限の防衛で良い、と考えて、国内の警察規定を適用していて、警官のピストル使用の際の、最初の一撃を撃ってはいけないというルール(撃たれてから撃ち返せ)を自衛隊にも求めている。相手に第一撃を許してから有効な反撃をしようとするなら、相手の1020倍の軍事力が必要になるのが常識だ。こんな馬鹿な状態で独立国とは言えない。

 

 アメリカを再び敵に回すことはしてはいけないから、日米同盟は結び続けないといけないが、だからといって属領のような状態になっていることは問題。

 

 

 . インドについて

 

 これまで「アジア太平洋」と言っていたアメリカが「インド太平洋」と言い出した。インド重視は安倍総理の持論でもある。

 インドは世界有数の人口大国で、やがて中国を抜き世界一の人口になる。大国なのに民主主義で治めようとしている点で注目されている。識者は中国包囲網もありインドに注目する。華僑に対し「印僑」という言い方もある。インドを考えて日本の安全保障策を考えるのは大事だが、言葉の多さ、政党の多さからインドはまとまりが悪い。もっと日本人は印度のことを知って、安全保障の材料として考えていくべき。

 

 これから目が離せないインドについての好著。

 ロバートカクラン著 「インド洋圏が世界を動かす」 2012 インターシフト刊 

 

  

 . 蒋介石の日本に対する「以徳報怨(いとくほうえん)」演説の真相

 

 蒋介石は武人として立身出世した。ドイツにしきりに接近し、資金援助や弾薬工場・銃器工場の建設支援を要請している。

 ドイツは、第一次大戦で日本の参戦により青島、南洋群島のドイツ領土と権益を失うことになり、日本に恨みを持っていた。それで、蒋介石はドイツ帝国陸軍から軍事顧問団を招いて助言を得ていた。

 

 (三国干渉をロシア皇帝にさせたのはドイツなのだから、日本側にこそ恨みがあるぞと言いたいところ)

 日本に復讐したいドイツが蒋介石をたきつけて訓練して行ったのが第二次上海事変。

 

 中国人は、あらゆる他人を利用して(頼って)、用済みになると捨てるという傾向がある。

 

 蒋介石は、アメリカから軍事援助を受けながら、できるだけ日本軍と戦わず共産党軍に向けるため武器を温存する作戦を採った。それでアメリカが蒋介石に愛想を尽かして、延安の共産党軍へ出向き、2~3度、軍事顧問団も送っている。

 

 大戦後に、蒋介石が中共軍を叩こうとしたら、アメリカのマーシャル特使が行ってストップをかけた。蒋介石は、(今ならやっつけられるのに)と地団駄を踏んだが、やむなく8~9カ月停戦することになり、この間に満州に進んだソ連軍が日本軍から得た武器を中共軍に与えて訓練し、近代戦を戦えるようにした。これは、蒋介石を見限ったアメリカが、中共を助けて支那の代表にしようとしたから。

 

 F・D・Rからトルーマンに到るまで、アメリカの民主党政権は「容共」であった。

 スターリンがアメリカとの戦争準備を始めたため、ソ連と衝突するようになり、そこからこれまでの共産党を援助した歴史を消して、あたかもはじめから「民主主義」「反共」であったかのような顔をして戦後を過ごしている。

 

 蒋介石の「以徳報怨」演説には、いまだに感謝する日本の政治家が多いのだが、なぜそうなのか。

 

 蒋介石は、日本軍に居残ってほしくなかった。蒋介石は、日本軍が蒋介石を恨んでいると思い、もしかすると日本軍は中共軍について蒋介石軍と戦い続けるのではないかと恐れた。それで、日本軍には早く帰れと言い、国民には、「日本軍に恨みがあるかもしれないが、報復すれば日本軍が留まって抵抗するので余計な手を出さず、ここはぐっと飲み込んで、恨みに対して徳を以て対応して、日本軍には安んじて早く帰ってもらおう」と説明した。

 

 これが「以徳報怨」演説の真相だ。蒋介石は徳のある政治家でもなんでもなく、策略家であったというだけのこと。

 

 

 

 

 

 

 

講演2  「私の台湾に感じるロマンと課題」

 

河田悠輝 氏 (グラフィックデザイナー・専門学校教員。仕事を通して次世代に震災を伝えたり、商店街のお手伝いに参画したりしている。)

 

311では三宮でも揺れを感じた。阪神淡路大震災も経験しているので、大変なことが起きたと実感した。

 この直後に、台湾で「相信希望 ~ファイト オー スマイル~」 というチャリティ番組が放映され、生放送中に21億円が集まった。(相信希望の番組は今もYouTubeで見られる。)

日本で自分が何もできていないのに、台湾の人がわずか一週間で我が事のように動いている。このことに大きな感動を覚えた。

 

 

台湾に興味を持ったきっかけ

 

若い頃、仕事で中国の大連に派遣され、外注先の会社でスタッフの指導にあたった。このとき、中国で流行っていたメイデイ(Mayday 五月天)というグループの音楽CDを買ったが、あとで台湾のバンドだということを知った。他にも台湾の人気グループがたくさんあって、これが、台湾に興味を持ち、好きになるきっかけになった。

 

現在、専門学校の教員をしている。

授業ではキャリアデザインやグラフィックデザインについて講義している。

 

最近教員間で話し合われているのはシンギュラリティ(技術的特異点)について。

A.I.が人間を超えるのは何年になるだろうか?

2020年には、大きな教育改革が行われ、大学入試のスタイルも大きく変わる。150年ぶりの地殻変動とまで言われている。

 

A.I.時代が来ると、自分で考えて行動できてアイデアを形にできる、機械に仕事を奪われない人材が必要になる。

なので、そういう人材を育てることが必要とされている。

 

 今の19歳や20歳の学生の特徴は何かというと、同級生で共通の話題がないということ。同じテレビ番組は見ていなくて、話し出すきっかけがない。また、好奇心や他者への関心が少なくて、チャレンジしようとする心が薄い。

失敗を極端に恐れたり、コミュニケーションが苦手だったりする。(特に、人とのやりとりはLINETwitterなど文字がベースで、あまり人と話さないのが特徴。)

 

 これからは、単純作業や、パターンの読み込みはA.I.がやるようになる。

その人が何に困っているのか、人の感情を読み取るような仕事のニーズが増える。

自分の経験や体験に価値がある時代になるので、子供や学生達にはどんどん挑戦してほしいと思っている。

 

 

  学生達は台湾のことを知らない。

 

  台湾の学生、若者達は、政治と関わり、政治に参加しようとしている。このことに、自分自身や日本の学生との差を感じた。 

台湾人には台湾人というアイデンティティができているのと比べると、自分達はヤバイのではないか。

 

自分の経験では、台湾の歴史を知ることが日本の歴史を知ることにつながった。

台湾を好きになってよかったと思う。

 

最近、修学旅行の行き先として台湾がトップになった。

最初は観光や食という接点から入るとしても、歴史にも関心をもってもらうことが大事だと感じている。

 

台湾では、朝市が好き。エネルギッシュでわくわくする。

映画館も安くていい。台湾映画の「KA.NO」もよかった。台湾の映画館で台湾の観客と感動を共感できた。

台湾のCDショップでは、CDケースのフォーマットがばらばらで楽しい。

 

  台湾では、手間暇かけて結婚写真を撮ることがふつうだが、自分も高雄で結婚写真を前撮りして、懇丁で挙式した。家族にも喜んでもらえてとてもいい経験になった。

 

先日大きな地震被害が出た花蓮は、海と山が近くて立地が神戸に似ている。

募金の動きが出てきているが、本当は少し落ち着いてきたら、花蓮に行って現地にお金を落とすのがいちばんいい支援方法かもしれない。

 

 

  台湾浪漫」 という名前のブログを作って公開している。

 

しかし、自分が台湾について伝えたいことは、これまでブログで紹介してきたグルメなどの話題とはちょっと違うような気が、最近してきた。

今後は本当に自分が伝えたいこと、自分にしかできないことをしていこうと思う。

 

 

 


当日の講演会の様子

当日は謝課長、下村教授からもご挨拶、お話を賜りました。

台北駐大阪経済文化弁事処総務課長の謝様からご挨拶を賜りました。

下村先生からも言語からのアプローチと言う視点で短時間ですが興味深いお話を頂きました。



お越し頂いた皆様、有り難う御座いました。

次回もお楽しみに!