第04話 ビーフンを探す旅 

西岡 敏也

 

  私は麺好きだ。と言っても毎日食べている程ではない。ただ、これは旨い!という麺を喰ってみたいという想いがずっと有る。私は麺の中でもとくにビーフンが大好きだ。台湾に関わらず旅行先でメシを食う時かならずビーフンが無いか確認をする。

 

  おっと、ビーフンは麺じゃないって?見た目も細長くつるつる食べられるから麺じゃないか。と言いたい所ですがその通りです。細かい話をするならば麺とは小麦を元にした食べ物。なので中華圏ではラーメンの麺は当たり前として小麦で作ったお饅頭や餃子も麺類になる。一方ビーフンは米粉と漢字で書く通り米を原材料としているので麺類ではないのだ。細かく言うと。なので正しくは私はビーフンが好きだ、というべきなのだろう、細かく言うと。

 

  それはさておき、では早速ビーフンの話を。

  

  日本でビーフンといえば、だれもが知るケンミンの焼きビーフンでしょう。神戸に本社をおくケンミンは1950年に健民商会として神戸でビーフンの製造を開始。当時戦地からの引き揚げで帰ってこられた人々のビーフンをもう一度食べたいという声に応えたものだという。会社名であるケンミンはこの健民から来ており、由来は創業者の高村健民さん。なんと台南出身の方だ。麺類繋がりでは日清の創業者である安藤百福さんも台湾出身である事を考えると日本の麺はなんと台湾と深い縁が深い事か。

 

  そのケンミンのビーフンだが、焼きビーフンと銘打ち販売されている通り味はあくまでも焼きが入っている味だ。これがビーフンなんだな、と日本で食べている方は思うかもしれない。が、私は少し違和感が有った。何か違う。それは別にケンミンの焼きビーフンがまずいとかわるいとか言っているのではなく私の想像するのとはちょっと味が違うのだ。言っておくがケンミンの焼きビーフンはおいしい。私自身、ケンミンの焼きビーフンを食べるときは3玉、4玉と一気買い、一気調理、一気食いするくらい好きだ。ビーフンを山盛りにして一気にかき込むのが好きだ。

 

  だが、、。

 

  私は小さい頃に東南アジアに住んでいたことがありその時ビーフンを食べた記憶が有った。だがその時のビーフンは焼きビーフンではなかった。その時の記憶を知らない間に追いかけていたので違和感が有ったのだと思う。台湾で食べるビーフンは焼きが入っておらず蒸しや茹でをベースに味付けをしているので焼きビーフンとは味が違ってくるのだろう。私はどちらかと言うと台湾で食べるようなビーフンが好きだ。人それぞれ嗜好はあるだろうから台湾でビーフンを食べた事が無い人は一度トライして頂ければと思う。

 

  台湾に行くたびにメシやにビーフンがあれば食べていた。その時の話をします。

 

  これまで何回か台湾に行っているが始めのときに行った際に注文した時の話をひとつ。

  

  久しぶりに本場のビーフンを食べたいと思い、店を探し入店。とりあえずビーフンをと思い、メニューを指差し注文。昔食べた味が思い出され、今か今かとビーフンが出て来るのをまつ。店奥からおばちゃんが器を高々と挙げ出て来た。ついに!とわくわくし、目の前に出されたのはなんと! ???。ちょっと太いビーフン、というよりうどん?、改めてメニューをみると、米台目と書いてある。米と書いてあるのでビーフンを期待していたのだが、ぜんぜん違う。ワッツディス!?とおもいつつも食べてみると、美味しい事はおいしい、、だが、なんだろう、プリンを食べよう!とおもって口内プリンモードになっていたのに茶碗蒸しがでてきたような、まずくはないが・・という感覚だ。

 

  米台目とは原材料は米なのだが、それをちょっと細いうどんくらいの細さにして10cmくらいの長さになるよう加工したものらしい。東南アジア一帯で食されており場所によっては鼠の尻尾と呼ばれているらしい。これはこれで有りだと思う。ビーフンの親戚のようなものだ。ネットで調べてみると、またあれがたべたい!というようなサイトも見受けられるので美味しい事は美味しいのだ。(写真はWikiから拝借しました)


  それではあらためてビーフンの話を。

 

  台湾でビーフンといえば!?、そう、新竹だ。IT産業の街で知られる新竹は実は日本の思想家、埴谷雄高の出身地でもあるらしい。偉大な思想家のようですが、私とは縁遠い方なのですこし触れる程度に留めておきつつ、この場所は海からの風が強く吹くため、それがビーフンの製造工程で乾燥させるのにちょうど良かったようだ。ビーフン好きの私からすると、この新竹は聖域でありメッカであり、お伊勢さんであり、いつかお参りせねばと思っていた場所である。

 

  何回目の台湾訪問だったろうか、私は台湾に行く度に毎回テーマを決めて行くのだが、この時はビーフンの聖地探訪だった。

 

  皆さんも経験があるとおもうが、これを食べるならこの場所!といって、では、その場所にある全ての店が旨いかと言うとそうではない。寿司食うなら日本!といって、では日本全国の寿司屋が旨いかというとそうではないのと一緒だ。なので新竹でも果たして何処が旨いのか?をしっかり下調べしつつ、一方で自身の足で歩いて旨い店を発掘する、これが旅行の醍醐味と言うものだろう。

  そんな新竹で、ここで食べてみー(関西弁)と紹介されたのが城隍廟屋台だ。ここは御廟の中に屋台が並ぶ不思議な空間。日本人からすると神社の屋台のようなものか。台湾の御廟はまるで迷路のようだ。迷う事はないのだが、昼迄も屋根が覆い被さってすこし薄暗くなっているのが、そう感じさせる。そこに台湾独特のアルミテーブルを広げた屋台が広がっている。

 

  ビーフンは直径1メートルくらいの大きな金属状のせいろのようなものに高さ50cmくらいで堆く盛られている。焼きビーフンとは違い、柔らかく蒸されており、しかも細い・・・。釣りをする人ならイメージできるだろうが、2号テグスくらいの細さだ。そこに独特の香辛料の香りがする、たぶんそぼろ肉を煮付けたものが汁と一緒に振りかけられている。

 

  注文するとそこから小さいお椀に盛ってくれる。ビーフン山から橋でつまみ出す時に溢れ出す湯気から原料である米を炊いたにおいがする。それを思いっきりかぐ。ここが焼きビーフンと違う所だ。米の香りがするのだ。これでこそビーフンだ。うまい、うまいね、本場で食うビーフンは。思いあまってお代わりをしてはいけない。腹は八分目、明日もまた食える。

 

  では、私が一番旨かったと思うビーフンはどれか? 

 

  

  それは新竹で食べたものではない。実は瑞芳の屋台で食べたものがいまのところいちばん旨かった。そこは普通の駅前の屋台村のビーフン屋台だ。2日連続で食べに行こうと思っていたら、2日目は休みで残念な思いをした。その食べられなかった思いが更に旨さを増しているのか?もしかしたらそうかもしてない。だが写真を見てもお分かりだろう(ぜひリンク先を見てください、当時のおっちゃんがまだやってるし!)、この旨さ!いつもの巨大パレットに堆く盛られたビーフン山!注文すると、皿に一盛り。朝からビーフンの隙間から漏れる米のにおい、立上がる湯気!ビーフンには何も足さない、何も引かない。あっさりしているのに肉汁を甘くし醤油を加えたマジックスープで味付けしてある。うまい!ビーフンはビーフンだけで食べるのがやっぱり一番旨いよ(注:筆者の個人的な感想です)


  朝ビーフンを胃の中に一気にかき込み今日は何処へ行こうかと屋台の活気の中でまだ見ぬ台湾に想いを馳せる。ちなみに、瑞芳の奥には九分、さらに奥に金瓜山がある。九分は言わずと知れた観光名所だが、元は金鉱山だ。台湾好きを自称するあなたにはぜひその奥まで行ってもらいたい。日本統治時代、九分は私営の、金瓜山は公営の鉱山が運営されておりそこに街が有った。当時金瓜山鉱山は東洋一の鉱山と言われ金以外にも様々な鉱物を産出。さすがにお国が関わっていたとわかる通り金瓜山には巨大な精錬設備後がひっそりと残っている。十三遺構と呼ばれるそれは、まるで地上のラピュタ島だ。記念公園も周り昔ここで生きた日本人の息吹を感じよう。九分からほんの少し先。街の雰囲気を活かした観光地にはその土地なりの歴史が有るのだ。

  さて、最後に心に残るビーフンを。

 

  私は台湾に行く時、必ず高雄経由で入出国する。南が好きだとか、微妙に安い飛行機便があるとか小さな理由はあるのだが、

もっとも大きな理由は帰国の最終日に高雄日僑学校を見てから帰国するようにしている為だ。

 

  私は中学生の頃、父の仕事の関係で高雄に住んでいた。また戒厳令が敷かれていた頃だ。台湾にハマる何年か前に久しぶりに高雄へ行った。高雄日本人学校の閉校式だった。閉校式と言っても学校自体が無くなる訳ではなく、校舎が耐震に問題有りとして学校の場所を移動する事になったのだ。とは言え、昔と比べて駐在員も減り日本人児童も減ってしまったので新しい校舎を建てず

台湾の児童が通う建物を間借りして運営する事となった。

 

  私は残された旧校舎がどうなっているのかを高雄へ来る度、写真を撮りSNSで昔一緒に学校へ通っていた皆に配信するのが日課、というか高雄へ来たときの決まりになっていた。一年目、二年目と人のいなくなった校舎、昔泳いだプール、あの時は大きく見えた運動場が果たしてどうなるのか、皆、懐かしさと期待で色々なコメントがSNSに溢れた。ここで学んだ仲間達はなぜか強い絆で結ばれていたのだ。

 

  そして数年後、台湾旅行の最終日、飛行機の便迄まだ時間があるので恒例の昔の校舎ツアーに出かけ、驚いた。近づけど建物は見えず、現場に着くと何と瓦礫の山がそこに堆く積まれていたのだ。そう、誰もが何かに使われると期待しつつも心の中ではもしかして、と過っていた不安が現実のものとなってしまったのだ。冷静に考えればそれはわかっていた事だった。耐震の問題で場所を移ったのだから、この建物はもう使えなくなっていたのだ。

 

  高雄日僑学校の歴史は日中国交正常化の時まで遡る。当時高雄で増えて来た日本人子弟の為にと台湾の方が御好意で提供してくれたものだった。しかしまさにその時、日本は中華人民共和国と国交回復を行い台湾と国交を絶ってしまったのだ。その方は高雄市長と言う立場も有り如何程のご苦労が有ったで有ろう事は想像に難くなく、それでも日本人の為に尽力してくれた台湾の方々の想いには本当に、ありがとう、以上の言葉が見つからない。

 

   そんな想いを持ちつつショッキングな現場に遭遇し肩を落としてホテルに帰る。私がいつも泊まるホテルはビジネスマンが出張によく使うのか、日本人サラリーマンの出張者によく会う。その為か、結構奇麗な所なのだがリーズナブルなお値段なのだ。ヲシュレットもついている(これ大事)。私は大概一度台湾に旅行に来ると台湾を一周するプランを立ててゆっくり廻るのだが、

その間、いろんなトラブルに遭遇しつつも最後の日はスカッとした環境でゆっくり出来るよう、ここと決めている。

 

  そのホテルの裏がちょうど大きな市場になっているのだ。活気溢れるその市場で帰国後に使う調味料等物色しつつ台湾旅行の最後の締めとしていつもよるのが市場の中に在るビーフンおばちゃんの所だ。ここのビーフンも瑞芳のものに負けず劣らず旨い。あえて何か言うなら、すこし、ほんの少しだけ水っぽいのだ。けどそこは活力在るおばちゃんの笑顔と貢丸湯をほおばって、うまい!と言いつつ、また台湾に来よう!と短い旅を締めくくる。

 

  ビーフンをもとに思いつく所をいろいろと綴ってみましたが、あらためて思うのは、果たして旨いビーフンだけだったら、これだけ「旨く」感じていただろうか、と言う事だ。小さい頃の思い出の味、台湾と言う風土、そして台湾の人々。それらが組み合わさって私は「旨い」と感じているような気がする。なのでたまにどこかで同じ味のビーフンを食べる事が出来ると、それらが脳裏にパッと蘇る。

 

  もしかしたら、昔、敗戦後引き揚げて来た日本の方々も、ビーフンにそんな想いを持っていたのかもしれない。時代は違えど、私にとってのビーフンも同じで、幼少の記憶や台湾のすべてが詰まった食べ物なのだ。私にとって旨いビーフンを探す旅は、そんな思い出のかけらや台湾の人々の想いを一つ一つ拾い集め、繋ぎ合わせて行く、そんな旅なのかもしれない。

 

  みなさんにもないですか?そんな台湾の思い出の食べ物。きっと在るはずです。またそれを探して食べに行く、そんな台湾旅行もいいじゃないですか。

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コメント: 1
  • #1

    ちゃんぽん (金曜日, 22 1月 2021 21:57)

    瑞芳美食街はビーフン、胡椒餅、自助餐など美味しいお店がたくさんありますね
    九份や金瓜石の行き帰りに立ち寄りたい場所です