台湾総統、立法院議員選挙の結果分析と東亜の今後を占う
年明け早々の1月11日、台湾では4年に一度の総統選挙と立法委員(日本の国会議員に相当)のダブル選挙が行われました。
前回の選挙では民主進歩党(=民進党)の蔡英文候補が当選し、また立法院選挙でも民進党が大勝して議会の過半数を占め、
初めて民進党が本格的に政権を担いました。
しかし、その後行われた統一地方選挙(2018年11月24日)では22県市の首長の座を13から6に減らし大敗を喫しました。
首相であった頼清徳氏は引責辞任され、台湾の民主主義に暗雲が立ちこめ始めておりました。
その後、「一国二制度」による台湾併呑を狙う中国・共産党政府の軍事・外交・経済など多方面にわたる締め付けが続いている中、台湾住民の民進党・蔡英文政権に対する審判が遂に下されました。
2月の「日本と台湾を考える集い」では、これらの選挙結果についての評価分析と今後の中台関係始め、
東アジアの動向について、台湾のスペシャリストお三方に現地最新情報も交え、大いに語っていただきました!
台湾を語らせたらこの三人に勝る者無し!
天衣無縫、縦横無尽の台湾トークをご覧あれ!
パネラー
近藤伸二氏(追手門学院大学教授 元毎日新聞台北支局長):写真右
酒井 亨氏(公立小松大学准教授 元共同通信記者):写真左
吉村剛史氏(ジャーナリスト・Youtuber 元産経新聞台北支局長):写真中
来賓挨拶(台北駐大阪経済文化弁事処文化教育課 林育柔課長)
前任の羅国隆さんが定年で埔里に帰られ、私が後任として先月台湾から来た。今日でちょうど1カ月。
1月11日に総統・立法委員の選挙が行われ、蔡英文総統は史上最高の817万票を獲得して再選された。
投票率は75%に達した。不在者投票や期日前投票の制度がない台湾では、この投票率は高い。
昨日、フランス総領事の方に、台湾は小さい国だが、多様性のあることが1番の魅力だと言われた。
多様性が発揮されるには、開放的な社会であることが前提になる。
そのためには、良くも悪くも国民の意見の発信が大切にされていなければならない。
近年、台湾社会はフェイクニュースやデマ、特に中国から流されるものによって、人々の不信や対立が強まってきた。
そのまま放置すると、自由、民主、人権などの我が国の基盤まで揺るがしかねない。
このことを踏まえて、昨年末に「反浸透防止法」が成立し、今年1月17日に施行された。
今日のテーマは非常に興味深く、じっくり拝聴したい。
今後ともどうぞよろしく。
1. 近藤伸二氏(追手門学院大学教授 元毎日新聞台北支局長)
今回の選挙では、「香港と台湾の連携」がキーワードになった。
この点と、中台の経済関係と新型コロナウイルスの影響について話したい。
◯選挙結果の概要
3人が競った総統選挙だが、実質的には蔡英文さんと韓国瑜氏の一騎打ち。
今回の選挙の大きな特徴は、2018年11月の統一地方選挙を出発点とすると、蔡英文さんはどん底からのV字回復になり、一方、韓国瑜氏は、非常に高い支持率だったのが下がった、ということ。
TVBSの世論調査の結果、8月16日までは韓国瑜氏がリードしていて、以降、蔡英文さんが逆転した。11月の時点で「勝負有った」の話が出た。
『美麗島電子報』というメディアでは、2019年2月(まだ前年の統一地方選挙の影響が強い)の時点で、韓国瑜氏51.8%、蔡英文さん27.3%と、2倍近い差があった。そこから9カ月ほどで急回復したことになる。
11月の『蘋果日報(リンゴにっぽう)』の紙面によると、本来国民党が強いと言われる北部でも蔡英文さんがリードしていた。
この原因の1つは、2019年1月に習近平国家主席が対台湾政策として演説した「1国2制度による平和的統一」に対して(蔡英文総統が)「絶対に受け入れられない」と強く反論したこと。そこから支持が回復していった。そして6月からの香港の民主化デモが長引いて、選挙戦と並行する形になりこれが蔡英文さん支持を後押しした。
逆に韓国瑜氏は、最初は非常にブームに乗っていたが、香港デモに対して「よく知らない」と発言して批判されたりして、どんどん支持率が下がった。
今回の蔡英文さんの得票817万票は史上最多だが、得票率は57.13%で前回の馬英九氏の得票率58%超には及ばなかった。投票率は約75%に達し、これは蔡英文支持者が多い若い有権者がたくさん選挙に行ったことの結果と分析されている。立法委員選挙も民進党が過半数を得て、国民党の議席数は38に留まった。
以上は小選挙区の状況だが、政党の比例区では民進党33.98%に対し国民党33.36%とほぼ互角の結果になった。小選挙区で勝った分、議席数は大きく開いた。
今回の選挙の勝利演説で、蔡英文さんはにこやかに笑っていて、冗談も交えて余裕が感じられた。
◯香港との連帯
香港のデモの経過を辿ると、(2019年)4月3日に香港政府が逃亡犯条例の改正を立法会に提出した。香港外で罪を犯し香港に逃げ帰った容疑者を、引き渡し協定がないところにも渡せる、という内容だった。これに反対するデモが6月から本格化して、100万人、200万人規模に拡大した。香港の人口は730万人なので、香港人のかなりの割合で人が集まったことになる。林鄭行政長官が廃案を表明したものの、立法会に突入したり空港を占拠したりと過激になった。9月には完全撤回を表明するも収まらず、覆面禁止規則も発令。新型肺炎の登場でニュースとして目立たなくなったが、まだ収束していない状況にある。
現在、香港のデモ隊は5大要求を掲げている。はじめの逃亡犯条例改正案は完全に撤回されたが、残りの4つは全然実現していない。特に普通選挙(1人1票で、民主派も立候補できるしくみ)の導入の要求は実現していない。
香港と台湾は、もともと根本的な立場が違う。香港は特別行政区という中国の一部であり、1国2制度の枠の中で自治権や自由を拡大していこうという立場だ。これに対して、台湾は主権独立国家であるので、そもそも民主化運動の立場が違う。
それで、あまり連携はしていなかった。
2014年の雨傘運動から香港も香港人意識が高まり、あまり目立たないが独立という主張も出てきた。もともと1国2制度は、鄧小平が台湾を統一治するために考え出した制度で、「今日の香港は明日の台湾」という意識から台湾でも連携が強まってきた。
「レノンの壁」というのは、ジョンレノンの死を悼んでチェコで始まった圧制に抵抗するシンボルだ。台湾大学の近くの地下道にできたレノンの壁には、「香港加油」の応援付箋が貼られている。
今回の総統選挙の前日に、香港の学生30人が台湾の選挙を視察に来て、自分達も民主的な選挙をしたいと言っていた。香港の学生と台湾の市民がエールを交換する光景が見られた。
台湾でたびたび行われている台湾人のアイデンティティ調査で、「私は台湾人である」と答える人の割合は、1992年の民主化が始まった頃は17.6%だったのが、2019年には59.6%まで上がった。逆に中国人だと答える人の割合は、20数%から3%にまで減っている。
香港大学が行った同様の意識調査で、「自分は香港人である」と答える人は、昨年52.9%まで高まっている。中国人だと答える人の割合は10.8%まで下がっている。
◯中台の経済関係とコロナウイルスの影響
2018年には、台湾から中国へ延べ614万人が渡っている。2008年から2016年まで、国民党の馬英九政権で、この間に直行便を解禁したり中国からの観光客を受け入れたりして、中国から台湾への訪問者が一気に増えた。2015年には414万人まで増えた。2016年5月から蔡英文政権になり、中国が台湾への旅行を止めさせ下がってきた。それでも2017~18年にかけて毎年約270万人が来ていた。2019年は268万人。中国は2019年8月に台湾への個人旅行を禁止。2019年に日本から台湾へ行く観光客が200万人を突破して話題になったが、数の上ではまだ中国から訪台する人数の方が多いのが現状。
2019年の台湾の貿易総額における中国の比率は24.3%(輸出は27.9%)。台湾から香港への輸出分は大半が中国に入ると考えられるので、台湾の輸出の4割が中国向け、輸入の2割が中国からという状況。蔡英文政権がスタートして3年半経つがほとんど変わっていない。
台湾と中国の貿易は、台湾がずっと黒字。2019年の台中貿易の黒字は345億ドル。台湾全体の黒字の8割を台中貿易黒字が占めている。
蔡英文政権が打ち出した「新南向政策」は、東南アジアやインド・オーストラリアなどとの経済関係を強化し、対中依存度を減らすことが目的だが、まだその成果は上がっていない。
コロナウイルスの発生源と言われている武漢市の主要産業は自動車。ホンダや日産を含め世界的な自動車メーカーが集まっている。中国は現在世界最大の自動車生産国で、そのうち武漢が全体の6%を占める。
台湾は自動車が主要産業ではない。台湾メーカーでは鴻海が武漢でパソコンを生産している。他にはバイオ医薬品のメーカーなど。
台湾からの投資は江蘇省向けが多い。台湾は自動車産業が少ないので湖北省への投資は少ない。浙江省や広東省へは電子部品、コンピューターなどIT産業関連の投資が多く、この地域に新型肺炎が広がると影響が出てくる。
台湾は2002年から2003年にかけてSARSの教訓があるので、今回も2月6日から中国からの入国を禁止し、台湾から中国への渡航禁止も勧告、2月7日以降は14日以内に中国に滞在した外国人の入国は認めない等の措置をとった。
日本を含め工業製品の分業体制をとっている。まだ収束のピークは読めず台湾経済への影響が出てくることは避けられない。最新のニュースでは台湾の感染者は16人なので、コントロールできていると言えるのではないか。
以上、香港の情勢が総統選挙に大きく影響したということと、経済関係では、台湾の中国への依存度はまだまだ高いということを確認して、私の話を終わりたい。
2. 酒井 亨氏(公立小松大学准教授 元共同通信記者)
近藤先生より概要のお話があったので、私は地政学の観点からお話する。事前にいただいた質問でも台湾と中国との関係を皆さん言いがちだが、私からみればナンセンスだ。
◯地政学の観点から台湾を考える
台湾は国際的に承認されていないので、日本とアメリカの共同の保護国の位置づけにある。中国がちょっかいを出すのはアメリカの責任。米ソ冷戦のときに中国を引き込もうとしたアメリカが「台湾についての主権を中国に認めてやる」と言ったのが始まり。中国も文革のときの地図には台湾が入っていない。キッシンジャーの訪中以来、中国が台湾のことを意識するようになっただけで、本来、台湾に中国は関係ない。
台湾に11年間住んだが、ふつうは台湾で中国の影は感じない。基本的には、台湾は日米の問題。今回も米国が米中対立のもと、蔡英文を後押しして勝った。これは地政学上の問題。元はといえばアメリカが播いた種だが、今回の選挙でも中国がフェイクニュースを流して介入した。台湾は西側陣営の国なので、防衛しないといけない。中国のちょっかいにはアメリカだけでなくファイブアイズ(米・英・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド5カ国のアングロサクソングループ)全体で対抗する。これは諜報の5カ国連合。
かつて私は民進党に勤めていた。今回、アメリカ人の元同僚と再会した。彼はいま国防総省に勤め、ハワイにいる。安倍政権はなぜ私を雇わないのか(笑)。
◯蔡英文さんや民進党の大勝とは言えない、今回の選挙事情を分析する
今回、1月10日から15日まで台湾に滞在した。(国民党の選挙直残集会の写真を指して)いま映しているのは選挙戦最終日の国民党の集会の模様。ジジババばっかり。もともといた軍の関係者などが多く、冴えなかった。
柯文哲(か ぶんてつ)氏が立ち上げた民衆党の集会にも行ってきた。ここは緑(民進党)陣営と青(国民党)陣営の中間で、30代の人が多かった。この人たちは総統選挙では蔡英文さんに投票した。民衆党は深緑の人達からは(赤がかかっている)と嫌われている立場にあるが、先日の立法院長(国会議長)の選出の際には民進党の游錫堃(ゆう しゃくこん)氏を推した。民衆党は赤緑系と言え、一応緑寄り。
蔡英文さんの集会には、いろんな世代の人が来ていた。
今回のその他の注目点について。私は、開票の日に「台湾基進」という小政党にいた。台湾独立を強く主張している政党で、若者の支持が高い。地方区で1人当選した。今後どうなるか注目したい。
高校生を対象とした模擬投票では、時代力量と民衆党の人気が高かった。
民進党の立法委員に当選した頼品妤女史は、ひまわり学生運動等に参加してきた若い女性で、父親は民進党の立法委員だった。コスプレイヤーとして有名で、1月9日の集会にも「エヴァンゲリオン」のアスカの格好で登場した。
今回の選挙では、20代と30代は蔡英文さんに7~8割投票している。蔡英文さんの得票のうちの3分の1が若い世代によるもの。今回は若い世代の投票率が高かったことで蔡英文さんがなんとか勝った。若い人は、香港の人も含めてスマホの時代に自由を最大限求める声が強いわけで、「中国はダサい。あんなところと一緒になりたくない」と思うのが若い人の感覚。それが今回結集した。
これには、アメリカの後押しが大きかった。アメリカは予算年度ごとに法律を作る。台湾支持を強化する法律を打ち出して、ファイブアイズを巻き込んでやっていく。
すごかったのが中国工作員のオーストラリア亡命事件。国民党を通して台湾の選挙に干渉していたことを自白したのが11月の終わり。あれが、若い世代に対して「国民党なんて嫌だ」と思わせる決定的なできごとになった。
中華民国の国旗の左上は国民党のマーク。最近台湾で流れている情報で、この部分をコロナウイルスに見立てたものがある(笑)。
武漢は中華民国の決起の土地。国慶節の元になった1911年10月10日の武昌起義というのは今の武漢のこと。武昌、漢陽、漢口の3つが合併して武漢になった。だから、武漢からの「悪いウイルス」は台湾にはとっくに来ていると言える。蔓延して今も500万人がひどい後遺症にかかっている。(笑)
総統選で蔡英文さんに投票した人が多いのに、民進党は33%しかとれなかった。これは若い人の投票先が分裂した結果。民進党が勝ったわけではない。蔡英文さん(性格が結構細かい)や民進党が嫌いな人は多い。国民党が中国ベッタリになったことで、蔡英文さんに入れざるを得なかったということであって、報道されたような「蔡英文大勝」ではなかった。今回、国民党の衰退がはっきりしてきたが決着がついたわけではなく、次回2024年の選挙で決まるのではないか。
◯見直されはじめた台湾語
私は個人的に台湾語の翻訳本を出している。外国人は北京語を通して台湾のことを扱うことが多いが、実際には台湾語が重要。蔡英文さんの演説の一部にも台湾語が使われていた。「あなた方は勇敢な台湾の子供です」と言った部分で、台湾人の若者が結構湧いた。今の若者は台湾語を使っていないが、台湾語の魂は感じている。歌の中などでも要所要所で台湾語は使われている。日本統治時代には北京語は一切使われていなかった。今の若者は中国が嫌い。北京語で教育を受けたので使わざるを得ないが、それではだめだと思うようになってきた。
台湾語は福建からきた言葉だが、福建語の全部の世界の中で台湾語が中心になっている。マレーシアのペナンではみんな台湾語のドラマを見ている。台湾語でやれば中心になれる。でも北京語では永遠に中国に引っ張られる。なぜあれほど中国からフェイクニュースがやってきて台湾が攪乱されるかというと、全部北京語でやっているから。そこに皆が気づくようになってきた。若者達は中国語教育で洗脳されていることは確かだが、台湾語でいくべきだとだんだん思ってきているのは事実。そういったことを考えると、台湾の独自性の追求や台湾独自の文化の追求を見据える必要がある。
3. 吉村剛史氏(ジャーナリスト・YouTuber 元産経新聞台北支局長)
お能が二つ続くと、次は狂言というのが日本文化。碩学お二人の後なので、私の話は居酒屋での雑談のように気軽に聞いていただきたい。
記者なので、原稿はチェックするが、今日は口頭なので、台北(たいほく)を「タイペイ」と呼んだり、英語のメインランドチャイナに引きずられて「中国大陸」と呼んだりするかもしれないが、その辺はご容赦願いたい。
ところで私がYouTuberであるということを、皆さんまだご認識されていないと思う。千葉麗子さんという元電脳アイドルと「デイブ&チバレイの新・日本記」という番組をやっている。初回収録にイスタダ・アリーマン君という台東のブヌン族の青年に登場いただいたのは、台湾がいかに重層的な文化を有するかということを示したかったからだ。「台湾=マンダリンチャイニーズ(北京語)」だと思っている人が多いが、彼は8歳まで祖母の膝の上で育ったので、ブヌン語と日本語しかできなかった。8歳ではじめて両親が出稼ぎに行っている台北に行き、周囲が中国語を話していることを知った。彼の中国語は8歳から必死になって覚えた言葉だ。
イスタダ君の詠む短歌がとても素晴らしい。彼は日本の『短歌往来』という雑誌に短歌論を書くくらいに和歌の名手。彼は37歳だから戦前世代ではないが、日本語族のネイティブタイワニーズ。ご興味あれば、どうぞ皆さん、チャンネル登録をよろしく(笑)
◯ 「1国2制度」への反発からはじまった反撃
今回の総統選では、「総統選は民進党の蔡英文さんに入れても、立法委員(国会議員に相当)選挙ではふだんお世話になっている国民党の先生に入れましょう」という台湾社会特有の「使い分け」行動によって、立法院では民進党が議席過半数を制することは難しいと見られていた。だが結果は単独過半数だった。風は全て民進党寄りに吹いた選挙だったということになる。
2019年1月に「台湾同胞に告げる書40周年」で中国の最高指導者、習近平氏が台湾に1国2制度を迫ったことに対して、蔡英文総統が激しく拒否した。蔡政権の1期目は、中国を刺激すまいという姿勢がよく見える、抑制されたものだったが、2018年の統一地方選で惨敗。たぶん蔡氏は、そこからは失うものがなくなって、頭を切り替えたのだろう。習氏の発言を突っぱねたところから蔡氏の反撃が始まった。その後、香港では中国に犯罪者を引き渡す逃亡犯条例改定案対する若者らの反発も拡大し、台湾でも「明日の香港」になりたくないという風が若者らを中心に広がり、蔡政権続投への期待が膨らんだ。
実は蔡政権は内政に力を入れたが、軍事や外交面ではさほど成果を出していない。断交国も7カ国増やしてしまった。台湾社会に閉塞感があったのは事実だ。だがそれも含め、中国の台湾に対する圧力が強調される結果に繋がった。
昨年(令和元年)12月22日に東京で「日台共栄の夕べ」という集いの席で講演会があり、講師を務めた、日本台湾交流協会台北事務所の前所長(大使)の沼田幹男氏が、直前まで蔡総統が圧勝すると出ていた台湾の各種民意調査について、「日本はそう見ていない。5ポイント以内の僅差ではないか」と発言し、これに台北駐日経済文化代表処の謝長廷代表(駐日大使)が飛びつき、「けして現職楽勝ではなさそうだ」と台湾に報告。台湾メディアも報じたが、これが圧勝ムードに気が緩みかけていた蔡英文陣営を引き締めたという見方と、一方で敗色濃厚な韓国瑜陣営を勇気づけた、という両方の見方がある。私は蔡陣営に送った風の方が大きかったと思う。日本も少なからず影響力を発揮したとみている。
◯ 若者向けのイメージ戦略が功奏
蔡英文陣営の選挙本部には若手が目立った。それと比べると、野党・国民党の韓国瑜候補が1月9日夜に総統府前の凱達格蘭(ケタガラン)大道で開いた決起集会には、民進党が年金改革などを推進したこともあり、年金を減らされた退役軍人やその家族など、元来の国民党支持基盤である白髪頭の人が目立った。このように大陸の記憶を持つ老兵やその子世代は高齢化しており、台湾生まれの孫や曾孫には中国に対する思い入れがなく台湾が故郷となりつつある。
今回の選挙活動中、蔡陣営はSNSを多用した。Facebookをフォローしていると、しょっちゅうライブが流れてくる。韓陣営が一つのイベントを発信する間に、蔡陣営は3つから5つのイベントを流す程度に、SNSの情報量には差があった。
逆に、韓陣営は、テレビコマーシャルのスポットをいっぱい買って、そこで蔡陣営を攻撃した。これは、国民党の支持者層がSNSではなくテレビを見ている世代だ、ということを意識した戦略だったのだろう。自陣営を支持してくれそうな有権者の、世代差に応じたメディア戦略も良く見える選挙だった。
こうした面もあって蔡氏は今回、若者の支持を広く取り付けた。普段は投票に行かない若者達がたくさん帰郷して選挙に行った。蔡氏本人は63歳の「おばちゃん」だが、イメージ戦略としては美少女戦士に仕立て上げるようなPRも行われた。エヴァンゲリオン風スーツ姿に描かれ、彼女の飼い猫も擬人化キャラになった。蔡陣営の選挙本部で一連の応援グッズを配られたとき、腰が抜けるくらいに驚き、吹き出すのをこらえるのに苦労したが、しかし、それはそれで続投への強い意欲や執念、覚悟を感じさせられた。
台湾のポップカルチャーは、実は本家の日本よりも進んでいる。日本では、オタク文化というとちょっと暗いイメージがあるが、台湾では、「これこそクールなんだ」と堂々と前面に出してくる。
もともと、蔡総統は、「艦隊これくしょん」(艦これ)というゲームに出てくるメガネをかけた女の子のキャラクター「霧島」に、似ていると言われていて、コスプレのイベントに出かけて行って、もてはやされるようなこともしていたので、若者の心の機微に入り込んでいける素地は充分あったのだ。
◯メディア戦略も転換
かつて野党時代の蔡氏は、産経新聞にさえもつっけんどんだった。官僚然としていて政治家としての包容力を感じさせなかったが、今回は演説等にも、広告会社のアドバイスがあったのではないかと思われるくらい印象が違い、大物政治家のイメージがにじみ出ていた。
また、蔡氏は2018年の統一地方選に大敗するまで、外国メディアとの単独インタビュー等をほとんどしてこなかった。馬英九政権が年数回定期的に外国メディアと単独インタビューしていたことと比べると、メディア戦略が悪いのではないかと、ずっと思っていた。
統一地方選での大敗後は、失うものがなくなったのだろう。産経新聞との単独インタビューに応じ、その後も欧米各メディアなどの取材を受けている。針を振り切ったというか、方針を180度変えた。それまでは中国を刺激した後の報復が怖いから控えめだった。しかし、中国が1国2制度を強く台湾に要求してくるのであれば、再選も絶望視される中、もう失うものがない。その捨て身の方針転換が彼女を救ったのだろう。
一方、中国との関係改善による経済効果を訴えた韓陣営では、旧態依然とした「晴天白日満地紅旗」のグッズや禿頭が特徴的な韓氏のキャラクターグッズなど、垢抜けない、若者の感覚には響かないセンスのものが使われていた。
両陣営を比べると、洗練されたアニメーション 対 時代物のロボットマンガ、というような、差異のある対決構図だった。
◯以前よりも差が開いた台・中の力関係
あらためて大きな流れを見ると、東アジアの情勢では、台湾の経済規模の小ささ、日本の長期低迷、中国の急成長が際立っている。
2000年に陳水扁氏が総統に当選した頃、台・中の経済規模は、軽量級と重量級の違い程度だったが、2018年には人間と象ほどに開いている。李登輝総統の時代は、圧倒的に人口の少ない台湾が、GDPでは中国の半分の規模を有していて、中国に対し台湾が強く主張することも可能な余地があった。
蔡英文氏に向けて、李登輝・陳水扁時代のように、もっと中国に対して強く出ろ、という人がいるが、こういう力関係の変遷がわかっていない。今の台湾は昔に比べて相対的に小さくなっているし、頼みとする日本すらも中国に対し小さくなっている。以前は日本企業の下請けだけでやっていけた台湾企業も、今は中国と取引しないとやっていけなくなっている。そういう辛い立場も見てあげないといけない。
◯「1国2制度」に思うこと
はじめて台湾に行って書店で台湾の地図を出してもらったとき、店員は日本人が言う台湾とは中華民国のことだから、と気遣ったようで、中華民国の全図を持ってきた。外モンゴルまで入っている。お得感はある(笑)。しかし台湾の旅行に役立つ台湾地図は台湾省の地図だった。でもそこには、金門と馬祖は福建省なので入っていない。
蔡政権に「1国2制度」を迫る中国は、馬英九政権が条件付きで「1つの中国」を認めた「92年コンセンサス」を想起させるが、「1つの中国」ではいつも思うことがある。私は以前、産経新聞の広島総局長だったが、社内組織上では「中国総局」だ。北京にある対外的「中国総局」は社内では「北京総局」。つまり産経の「真の中国総支局」は北京にはなく、広島なのだ。(笑)
◯中国由来の疫病に脅かされる台湾
新型コロナウイルスの関連では、台湾人初の医学博士、杜聡明氏の三男で、毒物研究の世界的権威、杜祖健博士(オウム真理教によるサリン事件の解決の糸口を日本の警察に示した米国在住の台湾人化学者)が、「台湾も2003年のSARS騒ぎのあと、実はSARS研究をしていた」と私のインタビューに答えている。これはニュースサイト『JBpress』で2月1日に報じた。
1996年に李登輝さんが民選総統として当選した翌年の1997年には、中国に発した口蹄疫が台湾の養豚業者を壊滅的打撃に追い込んだ。2003年は陳水扁が再選に向けて準備しているときに、あのSARS騒ぎが起きた。
蔡政権では去年から中国発の豚コレラについての対策を強化していた矢先で、中国発の病毒に神経をとがらせている中での武漢の新型コロナウイス感染症の感染爆発だった。「それが兵器?そんな馬鹿な、とは絶対に言えないよ」というのが杜博士のお話だ。武漢には兵器レベルの病毒研究所があるのだから。実は台湾でも実際にウイルス漏れの事故が起きたことがあるという。
今回、蔡政権は相手方のオウンゴールで勝っている。その幸運は中国発の新型肺炎騒動でも続く可能性がある。中国が今よりも足元が弱くなった時に、台湾はもう少し有利な国際的地位を勝ち取れるかもしれない、という予感を持っている。
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