2018年『集い』講演会予告&開催実績

20181021 第57回集いを開催致しました!

東アジアの中の日本の役割


講師: 一色 正春氏

講師紹介:

 1967(昭和42)年京都府京都市生まれ 

 

 海運企業で外航航路の船員として勤務した後、国家公務員試験を受け海上保安官となる。海上保安学校門司分校を卒業後、釜石海上保安部、小松島海上保安部、姫路海上保安部を経て2010年に神戸海上保安部にて巡視艇「うらなみ」の主任航海士となった。同年11月尖閣諸島中国漁船衝突事件の映像を流出させ、12月海上保安官を辞職。翌12815日靖国神社境内で執り行われた「全国戦歿者追悼中央国民集会」で講演した。

 

 著書に『何かのために sengoku38の告白』(朝日新聞出版)共著に『日本を守りたい日本人の反撃』(産経新聞出版)。テレビ・ラジオでの出演、多数。  

 Facebook: https://www.facebook.com/masaharu.isshiki 


10月21日、伏見稲荷にて日本と台湾を考える集い、第57回を開催しました。2008年に第1回を開催してから今年で10年目。素晴らしい晴天の中、10年目の締めに相応しい講演を一色さんに頂きました。国際情勢に翻弄される台湾は大国中国とからの圧力と闘う道を選びました。大切な友人として日本はどう向き合うべきなのでしょうか?その前に、今、日本の現状を知っていますか?今回は日本の事を考える極めて有意義なお話を頂きました。


東アジアの中の日本の役割 ~日本人は危機感がたりない~

 

 国家とは何か・・・、

 国防は「守るものが何か」をわかることが基本。一般には主権・領土・国民があることが国家の要件だ。国連の敵国条項は70年経っても変わらない。

 

 アメリカ頼みの国防の仕組みは、敗戦に端を発する。戦闘機もイージスシステムも通信システムもアメリカ製。果たして日本に主権はあるのか。外務省のトップは外務次官ではなく、駐米大使。アメリカに居てアメリカの言い分を聞いてくる人がいちばん偉い(次官をやめた人が駐米大使に就任する)。米軍演習のときは船舶の航行が制限される。関東の空域のいちばん西には、横田基地の官制エリアがある。首都の空の半分は、日本が自由に飛べない状態が70年以上続いている。

 

 日本がいつできたかよくわからない。古事記、日本書紀の記録しかない。それでも、いま存在している国としては日本が最古。我々は過去の日本と時間軸でつながっている。ただし、敗戦したことで、誤った歴史を教えられている。

 日本は紀元前660年に建国した。作った子孫がまだいる点が大きく違う。フランスは王様から独立した。フランス人権宣言は、王を殺して国民主権を勝ち取った。アメリカ独立宣言文は、ひどいイギリス統治から独立したとうたっている。

 日本には建国の詔がある。日本人ならまずこの原点を教えてほしい。日本は建国からずっと続いていて、長いからいいとは言わないが、いつできたのかわからないくらい世界に類をみない存在。

 

 領土で大事なのは、どこからどこまでなのかということ。領海/領空を合わせた領域は、そのときどきの国際法で変わる。領海は大型船ができてから。昔は3海里(大砲の弾の届く距離)とされ、今は12海里。上空は空気のあるところまで。したがって人工衛星は上空を移動しても領空侵犯にはならない。国どうしの取り決めは、今は国連(連合国=第2次大戦に勝った国)が決める。その中の常任理事国5大国が決める。日本は勝った国に入っていない。日本の国の形は、サンフランシスコ平和条約(国際法)で決められていて、国内法はない。領海の範囲は領海法に記載がある。戦後に放棄した残りの部分が今の日本の領土だ。

 

 「日本がアジアを侵略した」という人がいるが、20世紀初頭のアジアに独立国はタイぐらい。日本は占領していた連合国と戦ったのであって、アジアの国とは戦っていない。存在していなかった国とは戦えない。(笑)アフリカはみなヨーロッパの領土。南米もスペインかポルトガルの領土で、当時、世界の国は50か国ほどしかなかった。アメリカは侵略国家で、南部の州はメキシコから奪ったもの。太平洋を西進したアメリカはハワイ王国も滅ぼして、後に50番目の州にした。侵略もしていないのに侵略したというのは日本くらいだ。国家は力が強いと膨張していく。中国が主張している「中華帝国の夢」は、元朝の最大領域の復活を見込んでいる(元は漢民族の国ではないのに)。こうした膨張国家に西側と東側から挟まれているのが日本だった。清朝末期は群雄割拠状態で、ここで日本は国民党と戦った。日本は中国(中華人民共和国)とは戦っていない。

 

 領海を含めた今の日本の形は、次の図のとおり。日本の領土には無数の島がある(「島」は外周100m以上のものを指す)。多くは無人島だが、ここを起点とする排他的経済水域EEZを加えると世界6位の領域を持つ。西端の南鳥島はデイズニーランド3個分の面積だが、この島を失うと日本の国土面積以上のEEZを失うことになる。領海は、国連海洋法条約で、入るだけでは問題ないが、害を及ぼしてはいけないとされ、私道を通行する場合のように、無害通航権が認められている。尖閣にやってくる中国船は無害通行ではないのに、我が国は有効な法整備ができていないため、中国公船がきても退去を求めるしかない。日本の排他的経済水域に埋蔵されている海底資源の価値は300兆円と言われる。だから狙われている。イギリスは領海3海里を主張している。12海里だとヨーロッパでは隣国との重複が多く出てしまうため。領海は主張しないと認められない(正しい主張だと認められる)。日本は、領海12海里を採っているが、宗谷海峡などは3海里。ロシア領海は11海里なのに、日本側の領海は3海里。原潜が通る国際海峡は公海として残す処置をとっていることによる。日本側のEEZの拠点となる無人島は99ある。平成24年まで、名前のないものが多かった。大陸棚は、地面から続いている扱いで、傾斜の基準がある。海底より下の資源等の関わりがあり、海上保安庁が海底調査して権益を広げた。中国船も同じ調査をしているのに、外務省がするのは抗議のみ。200海里の範囲が重複する場合は中間線を使うが、相手はふつうの人ではない。日本は最初から控えめにしか主張せず、中国に海底ガス田の橋頭堡が築かれた状態になっている。東シナ海の日中漁業協定でも、中国船を日本が取り締まれない。日本海では、竹島の扱いで日韓が噛み合わず、暫定水域とし、どちらも操業できることにした(日韓漁業協定)。北方領土では、国境線より先に行かないように国内法で規制している。これらは、自民党が決めてきたこと。

 

 日本が主権を奪われているのは、下図の赤い部分。この事実を知ったうえで、「憲法を変えなくてもいい」と言っているのか?

 

 アメリカ軍のベトナム撤退やフィリピン米軍基地からの撤退後に、中国の南シナ海での軍事行動が活発化し、現在も人工島をせっせと作っている。沖縄の基地反対運動の後ろで中国が糸を引いていることも十分考えられる。アメリカ軍の「航行の自由作戦」では、無害通航しかしていない。本来なら有害行為をしないといけないが、アメリカもそこまでは腹を決めていない。中国は、かつて列強にやられたので、やりかえす帝国主義の意識でいるのではないか。

 日中平和条約では、相互の内政不干渉を取り決めている。靖国参拝に口出しするのは条約を守っていない。約束を守れと政治家も中国に言って守らせるべき。日本には武力の行使の三要件がある。

 

 憲法を守って、そのことで国が潰れてもいいのか。

 

 日本の自衛権を制限する論調はおかしい。さきの戦争で責任のあった人はもう日本にいない。なのに、人殺しの子は人殺しという理屈で、アメリカの作った憲法を守っていればいいと言われる。憲法9条に、交戦権はこれを(「放棄する」ではなく)これを「認めない」とある。「誰が」認めないのか。終戦後に日本は武装解除して領土を奪われ、多数の国民が死んだ。一般的に、相手より強い立場でないとケンカを止められない。

 今の法律は、防衛力は必要最小限に留め、正当防衛の反撃は認めるという考え方に立っている。警察と軍隊の違いをわかっていない人が多い。警察は国民の生命財産を守る。これに対して、軍隊は目的達成のためには、物も壊すし人も殺す。たとえば、テロが起きたとき、警察機動隊は犯人確保のため捕まえようとするが、軍隊なら敵の殲滅をする。平時にやれることはある程度想定できるので、警察はやり過ぎないよう法定している。それだけ制約がある。捜査には令状が必要だし、まず武器を捨てるよう相手に言うなど。しかし、世の中には想定していない事態が起きる。日本の自衛隊の戦車には、公道を走行する際に交通法規を守る必要があるためにウインカーがついている。実戦では、ウィンカーで動きを読まれたら勝てない。自衛隊が警察なら、島に上陸した相手を逮捕することになる。そういう制約のある組織では、国の安全を守れない。多数の人命が失われる危険があるときには、警察ではなく、法を超越して軍隊が対処することになる。従って、警察と軍隊とは厳密に分けるべきだ。それなのに、日本には法律上、中途半端な警察的なものしかない。今日の話を、自分たちで調べて自分たちで考えるきっかけにしてほしい。私たちは国民主権の主役だ。8年前、子供手当にだまされて政権を選択し、大変な目にあった。今のテレビや新聞を見ていると判断を間違える。

 

質疑応答)

事前に寄せられた質問から

 

1)国民の危機感は変わってきたと思うか?

→ 意識は明らかに変わった。10年前は憲法改正をいうと右翼と言われた。でも変化のスピードは他国に追いついていない。

 

2)台北に新築された在台米国協会は、いつでもアメリカ大使館の機能を果たせる作りだと聞いた。台湾については、アメリカが独立国として扱い、自由主義の国々が後に続けばいいと思うが、「一つの中国・一つの台湾」の時代は到来すると思うか?

→ 台湾は独立国家として認めて軍事同盟を含む同盟国としてやっていく、極端に言えばひとつになってもいい。いかに主流の方向にいくか。冷戦では日本は勝利した側だ。アメリカのいいなりと言われつつ、西の脅威をおさえていく。

 

3)オスプレイ反対運動に衝撃を受けた、尖閣は中国にあげようという人までいる。学校教育でどうすべきか?

→ 韓国では目に見えないクーデターが進行中だ。反韓国教育が教育界・法曹界に浸透し、初代の李承晩はなにもしていない、金日成が日本と戦って独立を守った。北が正当の国家だと教わっている。親北の文在寅政権の支持率が7割ある。おそろしい。日本は「新しい教科書をつくる会」などもあり、そこまではいっていない。教育勅語について、ずいぶんたたかれた。学校で、戦前がすべて悪という教育を受けても、自分で考えてふつうのひとはおかしいと気づく。しかし、頭のいいひとは学んだことを否定できない。本当にわかる先生を育てていくしかない。

 

会場からの質問

4)アメリカとの安保だけでなく NATOのような広域の安全保障を考えるべきではないか?

→ ベトナム、インド、台湾などを巻き込んで中国を包囲することを実際にやっているし、日英同盟復活の動きもある。ただし日本には憲法9条があり、自衛隊は、島嶼部について防衛作戦ではなく奪還作戦を展開している。爆撃機を持っていない状態で、相手国が軍事同盟を組んでくれるだろうか?フィリピンなど東南アジア諸国も日本が軍隊を持つことを支持している。日本の集団的自衛権に反対したのは、中国、韓国、北朝鮮の3か国のみだ。

 

5)憲法9条を変えると徴兵になるか?

→ そもそも徴兵制はいいのか悪いのかの議論になる。「なるか・ならないか」で言えばならないだろう。近代的な軍では、1年や2年の兵役では一人前にならない。世論も反対だし、徴兵制は実施していない国の方が今は多い。イスラエル等は、国防意識を持つ意味から徴兵制だ。そういういい面もあるが、若いものが2年間を無駄にする悪い面もある。安保法制が変わったときにも「赤紙がくる」と言われたが、そうはならないだろう。

 

6)アメリカと中国の貿易戦争では、アメリカは本気だろう。中共をソ連のように崩壊させようとしているのか?

→ アメリカに中国マネーが浸透しているので容易にはいかない。本当にアメリカの脅威だと思えばそう動く。我々は勝つ方アメリカに従わないといけない。ただし、中共が崩壊したあとどうするのか。大量の難民がきて大変。イラクのフセインを倒したあとのことを見ると、グランドデザインを描いてやってもらわないといけない。安倍総理は自民党では少数派。二階幹事長の方が親中国で党内でも力を持っている。パンダをもらって終わりにならないよう、国民の声を挙げないといけない。


巡洋艦松島 爆沈110年慰霊祭」  集いスタッフの参加報告  杉中学 氏

 

 旧帝国海軍の軍艦「松島」は日清戦争の時代に活躍した「厳島」「松島」「橋立」のいわゆる『3景艦』のうちの旗艦。艦のサイズ以上の巨砲を搭載していたことで知られる。明治41年に海軍兵学校の卒業生(少尉候補生)300余名を載せて遠洋航海し澎湖島の馬公に寄港中、爆沈した。同年の慰霊際には東郷平八郎大将が参加。

 しかし、日本の敗戦により日本人による慰霊式典は途絶え、その間、地元の方々が仏教(龍山寺)、道教(温王殿)で手厚く慰霊祭を続けてこられた。今回の慰霊祭は、馬公出身で現在は沖縄在住の許光輝氏(日本台湾平和基金会)の呼びかけにより実現。総勢70名ほどが澎湖島を訪問し、菅野泰紀氏(鉛筆画家)による「松島」の絵の奉納や、県長(県知事)主催の晩餐会等が行われた。まだ時期的には早い強風に見舞われ、慰霊碑に供えた日本酒が倒れて割れたが、英霊の方々が飲みたかったのかもしれない。澎湖に渡航する前には、黄家の中秋音楽祭に参加。陳建仁副総統や頼清徳行政院長(首相)、黄家当主の黄昆虎氏(国策顧問)らが顔を揃えていた。また、台南の飛虎将軍廟にも参拝した。


参加申込みは↑

主催:日本と台湾を考える集い事務局

https://tsudoi-jptw.jimdo.com/

 

日本と台湾を考える集いは日台の相互理解の促進をめざし、関西を中心に活動をしている場です。

日台の歴史・政治・文化等幅広い課題を取り上げ、学びの場として集いを開催しています。

連絡先:080-1403-3578(近藤)

 

集いでは運営のお手伝いをしてくださるスタッフを募っております。


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20181021 第57回集いを開催致します

東アジアの中の日本の役割

 

第57回集い、副題「日本人には危機感が足りない(仮)」は京都伏見稲荷で開催致します。

 


講師: 一色 正春氏

講師紹介:

 1967(昭和42)年京都府京都市生まれ 

 

 海運企業で外航航路の船員として勤務した後、国家公務員試験を受け海上保安官となる。海上保安学校門司分校を卒業後、釜石海上保安部、小松島海上保安部、姫路海上保安部を経て2010年に神戸海上保安部にて巡視艇「うらなみ」の主任航海士となった。同年11月尖閣諸島中国漁船衝突事件の映像を流出させ、12月海上保安官を辞職。翌12815日靖国神社境内で執り行われた「全国戦歿者追悼中央国民集会」で講演した。

 

 著書に『何かのために sengoku38の告白』(朝日新聞出版)共著に『日本を守りたい日本人の反撃』(産経新聞出版)。テレビ・ラジオでの出演、多数。  

 Facebook: https://www.facebook.com/masaharu.isshiki 


開催日程等

開催日程:2018年10月21日(日)

開始時刻:13:30〜16:45(13:00受付開始)

参加費: 1,000円

定員:  50名(先着順)

主催:  日本と台湾を考える集い事務局

     e-mail:  t.forum.kansai@gmail.com                    facebook:  日本と台湾を考える集い

当日の講演テーマ

〜東アジアの中の日本の役割〜

 

米中貿易戦争繰り広げられている。北朝鮮と韓国は半島内での情勢を大きく変えようとしている。日本は東アジア情勢が目紛しく変化する中、どうするべきなのか。まずは日本という我らの国の立ち位置を確り認識するところから始めよう。

 



開催場所

名称:伏見稲荷参集殿

住所:〒612-0082 京都府京都市伏見区深草薮之内町68

最寄り駅:

JR奈良線:「稲荷駅」下車すぐ

京阪本線: 「伏見稲荷駅」下車東へ徒歩五分



 お申し込みはコクチーズから!


参加申込みは↑

主催:日本と台湾を考える集い事務局

https://tsudoi-jptw.jimdo.com/

 

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日台の歴史・政治・文化等幅広い課題を取り上げ、学びの場として集いを開催しています。

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20180819 第56回集いを開催致しました

来た!見た!食うたら見えて来た!大台南の裏話!

「大台南見聞録」出版記念!

 台南ブームの火付け役!

ヤマサキ兄妹のトークイベントを開催致しました!

  台湾と言えば台南ね。

  今、台湾の古都、台南が熱い!なぜならば、この人たちが火をつけたからさ!

 

  ということで、今回の集いはいつもの政治、歴史から一歩離れ、台南の楽しみ方を皆さんと共に考える集いとなりました。ファシリテーションをしてくださったのは台南ブームの火付け役、ヤマサキ兄妹です。台湾にはまだまだ楽しい場所、美味しいものが一杯です!


講師ご紹介 ヤマサキ兄妹:台南市政府公式宣伝サポーター

 

ヤマサキタツヤ

大阪在住イラストレーター。台湾観光協会、台南市政府観光局、チャイナエアラインのポスターや林百貨店ビジュアルデザイン、妹ハナコと、シャングリラ・ラファーイースタンプラザホテル台湾とのコラボなど台湾・台南に関する仕事も多く手がける。著作に日本初台南コミックエッセイ『オモロい台南-台南の古都でしこたま食ってきました』(KADOKAWA/エンターブレイン)

 

ヤマサキハナコ

台南案内人。2012年から台南に約1年滞在した後、台南と大阪を行ったり来たりしている。各雑誌等での台南特集にて執筆や、タツヤの台南での仕事の翻訳及びコーディネートを担当。タツヤ著『オモロイ台南』、川島小鳥『愛の台南』(講談社)の監修。

 

著書:『オモロイ台南』(中文版『呷飽沒?台南美食繪帖』

『来た見た食うた ヤマサキ兄妹的大台南見聞録』


自己紹介を兼ねて

  2012年にワーキングホリデーで妹ハナコ(ヤマサキハナコ)が台湾に渡航。ポポモフォ(台湾の発音符号)は渡航前に覚えて行った。最初の2か月を台北で、あとの10か月を台南で過ごす。

 

  母親から妹の様子を見てきてくれるよう頼まれて兄タツヤ(ヤマサキタツヤ)が台南を訪ねた。その際にタツヤが街角でスケッチしたイラストをfacebookにアップしたところ、台南市政府新聞及び国際関係処のスタッフの目に留まり、日本人向けのパンフレットに使われた。市政府で記者会見が開かれることに。頼清徳市長も立ち会うきちんとした記者会見でビビった。

 

  イラストで台南のグルメや街の姿を紹介した最初の本『オモロイ台南~台湾の古都でしこたま食ってきました』(KADOKAWA/エンターブレイン・20147月)は、実は刊行が一青妙さんの著作よりも数週間早かった。(紙版は既に絶版)こんなタッチの台南紹介本が先に出てしまい、一青妙さんは驚いたかもしれない。かなり短い取材日数で作った本だったが、後に中文版も出た。この本が縁で台湾観光協会とも繋がりができ、台湾観光ポスターを書いて、あちこちで使われるようになった。

 

  後に台南観光ポスターも作った。台南市政府の新聞及び国際関係処には、壁一面に大きな案内ポスターが貼られている。中華航空の台南-大阪直行便の就航を機に、大阪・台南ファン応援団宣伝サポーターを仰せつかった。(ヤマサキ兄妹の名刺には「台南市政府公式 台南応援団」と入っている。)

 

  ハナコは、写真家の川島小鳥さんの台南紹介本のコーディネート、取材協力もした。

  タツヤは、林百貨店の3周年イベントの際のイラスト、山陽電鉄の台湾ラッピング電車の床イラスト(日月潭)等を手がけた。台南の老舗まんじゅう店の克林台包の看板にも大きくイラストが使われている。

 

 

台南の位置、アクセスについて

関西からは高雄経由が便利。関東からは高雄便があまり多くない。

 

台南めしの紹介

ヤマサキ兄妹の本でイラスト入りで紹介されております!ぜひご覧ください。

・担仔麺(たんつーめん)

・虱目魚(サバヒー)

・ちまき(粽子)

・牛肉湯

・鍋焼意麺

・炒鱔魚(田うなぎ)

・碗粿 

・丹丹漢

魠魚焿(さわらフライのとろみスープ)

・肉圓(ばーわん)

・意麺

・香菇飯湯

蝦仁

蝦捲/蚵捲

・桶仔鶏

・粥

・自助餐

・水餃

・台鐵弁当

・マンゴー

台湾式カレー

・成功ビール 

 

台南の見所(駆け足で紹介)

ヤマサキ兄妹の本でイラスト入りで紹介されております!ぜひご覧ください。

・駅前の紹介 鉄道ホテル(「オモロイ台南」で謎の白い粉があったと紹介した宿)

・台南公園

・国立成功大学 

・赤崁楼

・孔子廟

・文学館

・消防署

・手書き看板の映画館(全美戲院)

・西市場

・エビ釣り場

・林百貨

・府城を囲んでいた城壁の門

・台南では神様の誕生日などのお祭りに出くわすことが多い。

・夜市

・Tバイク(台南市内のレンタル自転車)

 

郊外の見所

・奇美食品の工場

・安平の先の鄭成功上陸地

・塩山 嘉義寄りの塩田もある。扇型の塩田。

・関廟(グワンミャオ) 

・新化老街

・文旦 麻豆が有名

・玉井の市場

・烏山頭ダム

・鹽水

・幹線道路沿いにそびえるサバヒーのマスコット像

 

  • 質問コーナー 

 

・暑い日の台南での過ごし方は?

太陽にあたらないように日陰で過ごす、涼めるところをまわる。水分と塩分をとる。

 

・台南では、どのへんのホテルがおすすめか?

世界中のシャングリラでいちばん安く泊まれるのが台南。

ただし地下道で駅の反対側に出るのが大変。地下道にはホームレスがいる。

(もっとも、シャングリラを利用するような人は、タクシーを使うが・・・(笑))

 

・トイレの紙を流すか捨てるかの判断は?

トイレのごみ箱の状況を見て判断する。新著「大台南見聞録」には台南市内のきれいなトイレをセレクトして掲載している。繊細なタツヤのめがねに叶うところをピックアップした。

 

・台南の民宿について

旧台南市に当たる地区では民宿は非合法だったが、現在は特区として一部地域で合法化になっている。しかし非合法宿も相変わらず存在する。

 

・駅から林百貨そばのホテルまで、荷物があるときにタクシーを利用できるか?短距離でもタクシーを使って大丈夫。

 

・ハナコさんのワーキングホリデーの最初の目的はなんだったのか。

語学の勉強が目的だった。その頃のワーキングホリデーの年齢制限は30歳までで、最後のチャンスだと、思い切って参加した。

 

・台南の市バスは遊遊カードが使えるか?

 いまはOK。

スタッフからの台湾の見所紹介①

 

付け焼刃の台湾華語 旅行ですぐに話せるコツ

杉中 学氏 (全国通訳案内士)

 

門前の小僧習わぬ経を読む、に近い状況で中国語を話すようになった。中国語はなかなか発音が難しい。

 

謝謝は「シェーシェー」ではなく、「シエシエ」と言うのが近い。「你好」も、台湾人の発音は、ニーハオ よりも ニーハウ に近い。そのうえに、さらに中国語独特の「声調」を使い分けないといけない。

 

「単語の固まりで抑揚を覚え、それを再現する」つまり、メロディを覚えてカラオケで歌うような話し方がおすすめ。

「私は日本人です。」という中国語、「我是日本人」を、ほとんどの日本人は 「ウォー シィ リーベンレン」 と発音してしまう。ローマ字読みする悪い習慣がある。

 

北京語には「巻き舌音」があるが、台湾の人は巻き舌音は使わない。なので、旅行者である私たちも台湾では使わなくていい!

 

「日本人」 は 「ズーペンレン」 で充分通じる。

 

ちなみに、「好吃」(おいしい)の発音は、「ハオチー」よりも「ハオツー」がいい。孤独のグルメ台湾編で、井ノ頭五郎役の松重 豊さんが宜蘭の食堂で口にした「ハオツー」の発音はバッチリだった。巻き舌音は、巻かずに強めに発音するだけでいい。正式に発音するときは、お好み焼きを食べた後に上顎についた青のりを舌先で取るイメージで。

 

台湾旅行では意思をはっきり伝えることが大事。

何か買いたいとき、欲しいときは、要 這個 (ヤオ チェイガ) と言えばお店では大丈夫。

 

他には、等一下 「トンイーシャ」 ちょっと待って、不好意思 「プーハォイース」 すみません、通してください、などを覚えておくと便利。

 

そして、何よりも大事なのはトイレがどこにあるかを聞く言葉。

「洗手間  哪裡?」 シーショウチェン ツァイナーリ これはぜひ覚えておきましょう。

 

台湾の旅行中は、横断歩道を渡る時は、日本とは逆に、まず左を見ることが大事。(左からの車が手前側を走るため。)

 

スタッフからの台湾の見所紹介

 

台湾一周見所ご紹介

西岡敏也 氏 

 

旅行好きのサラリーマン。44歳。ビーフン、ビール好き。親の仕事の関係から、シンガポール、高雄等で幼少期を過ごす。雲南省昆明に語学留学していた。何度も台湾を訪ねた中でのおすすめ紹介。

 

・台南

成功大学(旧台南工業高等学校)に とあるCMに出てくる大木とそっくりな木がある。その木の下に昭和天皇が皇太子のときに植えたと記された石版がある。台南旅行の際は一度ご覧あれ。また、ここは小倉キャスターの祖父が学んだ所でもあり成績書がそこされている。

 

・新竹郷埔郷

住民の70%が客家という客家の街。至る所に客家の屋台が有り客家特有の保存食を売っている。歴史的に流浪を余儀なくされた一族らしく智慧の詰まった食物、発酵食が多い。

 

・台中

清境。雲南料理の店がある。こんな場所に何故?と思うが、事情は複雑。国共内戦で台湾ではなく雲南に逃げた国民党員もいた。その後縁者から台湾に呼び寄せられた人の子孫が暮らす。

 

・南投県竹南

医学部の青年が山奥で見つけた古びた客家の民家。このまま朽ちては惜しいと一念発起し借金の末、改装を重ね開いた民宿。天空の庭、と名付けた。 

 

・台東

台鐵の太麻里駅。駅を出て、海を見下ろす景色がすばらしい。真っ青な海に伸びるアスファルトの一本道に吸い寄せられる。

 

・緑島

台東からの船は波が荒くとても揺れる。島に着くと、まずは移動手段としてバイクの確保が必要。電動バイクがたくさんある。

ダイビングで有名なようで民宿があちこちに建てられ、泊まっている人はほとんどがダイビング目当て。ATMはあるが外国人はお金がおろしにくいため、現金が必須。日治時代は、火焼島と呼ばれていた。戦後、政治犯を収容する監獄島になった。

 

・花蓮

遠慮園(宿の奥さんが仙台出身)見どころとして松園別館が有名だが、花蓮の人たちとの触れ合いも楽しい。台北が東京、台南が京都とするとここは大阪。のりのいい人たちが声をかけてくれる。

 

・高雄日本人学校

2014年にいったん閉鎖された 建物の耐震強度が足りないため数年後、校舎は更地になりタイムズの駐車場になっていたのでがっかりしたが、それでもこの学校を建てる為に快く土地を提供してくれたのは台湾の方だった。日中国交正常化のその年、日本と台湾は国交断絶となったが、その政治混乱の中で土地をと提供してくれたのだ。大変有り難い事。

 

ということで、台湾にはまだまだ見所一杯。いろんな切り口からあなたの台湾をぜひお楽しみください。


慰霊顕表彰祭のご報告 近藤副代表

 

当集いは2カ月に1度の割合で、講演会などを行ってきた。これまで、錚々たる講師にお願いしている。団体として何かするようなことはしていないが、沖縄県糸満市の摩文仁の丘に台湾人戦没者慰霊のための慰霊施設を作ることには協力してきた。

 

2年前に「台湾の塔」が作られ、蔡英文総統の落款がある。(2016年6月建立)今年、李登輝元総統の揮毫による新しい碑が建てられた。就任直後、蔡英文総統が参拝した忠烈祠に祀られているのは日本と戦った中華民国軍の兵士のためのもので、当時の台湾人には関係が無い。日本統治時代に日本人として軍人・軍属になり戦没した人の居場所がなかった。

志願や徴兵で日本軍として戦った台湾人青年の中には戦後、国民党軍に組み込まれて国共内戦に動員され、そこで共産党軍に捕虜になり、さらに朝鮮戦争に中国軍義勇兵として参戦させられた過酷な運命の人もいた。沖縄の「台湾の塔」と合わせて、高雄の旗清半島にある「戦争と平和紀念公園」にもぜひ機会があれば立ち寄ってほしい。

 

「台湾の塔」建立時、蔡英文総統の落款があることが、「台湾籍日本兵は中華民国の敵だ」と中国国民党関係者から問題にされ大きな騒ぎになった。だが、同年11月に「戦争と平和念公園」で行われた「台湾籍老兵記念式典」に蔡総統が初めて臨席し、「政府として『正義の追求』を支持する認識を示した」ことに加え、今年6月の李登輝総統の来沖に行われた第6回台湾出身戦没者慰霊顕彰祭に「中華民国総統蔡英文」として供花されたことは数奇な運命を辿った台湾人の軌跡を公式に認めたわけであり、意義は極めて大きいと思われる。

ところで8月15日の政府主催戦没者慰霊式典では戦没者310万人とされているが、厚生労働省援護企画課に当時日本人だった台湾人、朝鮮人が含まれているのかを照会したところ、「わからない。」との返答だった。参考までに台北の空襲の際、内地人にも多数の死者が出たが、310万人の中の非戦闘員50万人には含まれていない。

日本側の台湾に対する姿勢が今でも問われている。

参加申込みは↑

主催:日本と台湾を考える集い事務局

https://tsudoi-jptw.jimdo.com/

 

日本と台湾を考える集いは日台の相互理解の促進をめざし、関西を中心に活動をしている場です。

日台の歴史・政治・文化等幅広い課題を取り上げ、学びの場として集いを開催しています。

連絡先:080-1403-3578(近藤)

 

集いでは運営のお手伝いをしてくださるスタッフを募っております。


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20180728 林雅行映画監督講演会を開催しました

2つの湾生の物語

 

 7月28(土)大阪OCATビルにおいて、台湾協会主催で平成30年度大阪での懇親会と講演会を開催致され、私ども日本と台湾を考える集いも協力団体として参加致しました。午前11時半からの懇親会には会員、非会員合わせて24人が参加し、森田理事長の挨拶の後、近藤が参加者全員を紹介、昼食後、日本統治時代の街並みと住人の名前が記載された詳細な台北地図などが披露され、湾生の参加者は当時の思い出に浸り、またその他の参加者も当時の台北に思いを寄せることで交流の輪が広がりました。

 

 続いて会場を同ビル4階の難波市民学習センター講堂に移し、午後2時から54人が参加して講演会を開催。

「2つの湾生の物語」と題した講演(講演記録は第2面に記載)では、講師の林雅行監督が、これまでの台湾人を主人公としたドキュメンタリー映画の製作過程で知り合った台湾生まれの日本人『湾生』の人生を描いた新作、「心の故郷」と「湾生いきものがたり」の製作にかけた思いを語って頂きました。

 

 湾生を主人公とし、沖縄戦、被爆者、空襲被災者と戦争を行きた日本人を描く事により、湾生の人生と向き合いました。綿密な取材力により収集された個々人の体験は貴重な歴史資料の体を成し、中々語られることのない話に参加者は聞き入りました。

 

 


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20180819 第56回集いを開催致します

来た!見た!食うたら見えて来た!大台南の裏話!

『大台南見聞録』出版記念

【台南ブームの火付け役】ヤマサキ兄妹のトークイベントを開催致します。

 

 台南は中心部だけにあらず!

 約4年かけ台南のたちこちで見て聞いて食べ続け、いろんな意味で大きくなった浪速の食いしん坊ヤマサキ兄妹がお送りする本「大台南見聞録」。ヤマサキ兄妹からみたオッサンもトリコになる大台南の「食」「生活」「文化」などを存分に語って頂きます!これを聞けばあなたもきっと台南に行きたくなる!

*当日、サイン会も実施予定!是非、本を購入のうえ、お越し下さい!

 

 サブイベントとして台湾好きスタッフ達によるガイドブックに載っていない「え?そこ?な台湾の見所」のご紹介も企画中! 


講師ご紹介 ヤマサキ兄妹:台南市政府公式宣伝サポーター

 

ヤマサキタツヤ

大阪在住イラストレーター。台湾観光協会、台南市政府観光局、チャイナエアラインのポスターや林百貨店ビジュアルデザイン、妹ハナコと、シャングリラ・ラファーイースタンプラザホテル台湾とのコラボなど台湾・台南に関する仕事も多く手がける。著作に日本初台南コミックエッセイ『オモロい台南-台南の古都でしこたま食ってきました』(KADOKAWA/エンターブレイン)

 

ヤマサキハナコ

台南案内人。2012年から台南に約1年滞在した後、台南と大阪を行ったり来たりしている。各雑誌等での台南特集にて執筆や、タツヤの台南での仕事の翻訳及びコーディネートを担当。タツヤ著『オモロイ台南』、川島小鳥『愛の台南』(講談社)の監修。

 

著書:『オモロイ台南』(中文版『呷飽沒?台南美食繪帖』

『来た見た食うた ヤマサキ兄妹的大台南見聞録』


開催日程等

開催日程:2018年8月19日(日)

開始時刻:13:30〜16:50(13:00受付開始)

参加費: 1,000円(一般)

      500円(学生、高校生)

     台湾からの留学生、ワーホリは無料

定員:  80名(先着順)

主催:  日本と台湾を考える集い事務局

     e-mail:  t.forum.kansai@gmail.com                    facebook:  日本と台湾を考える集い

当日の講演テーマ

〜来た見た食うたら見えて来た、大台南の裏話〜

 

台湾が初めての人も、何度も台湾へ足を運んでいる人も、もっと深く大難を知りたいと思いませんか?ゆっくり在りし日の台湾時間が流れる古都、台南。講演を聴いてからまた訪れる台南の風景はきっと違うものになっているでしょう。

 



開催場所

名称:神戸市勤労会館(405号室)

住所:〒651-0096 兵庫県神戸市中央区雲井通5丁目1-2

最寄り駅:

市営地下鉄・JR・阪急・阪神・ポートライナー各「三宮」から東へ徒歩5分



 お申し込みはコクチーズから!


参加申込みは↑

主催:日本と台湾を考える集い事務局

https://tsudoi-jptw.jimdo.com/

 

日本と台湾を考える集いは日台の相互理解の促進をめざし、関西を中心に活動をしている場です。

日台の歴史・政治・文化等幅広い課題を取り上げ、学びの場として集いを開催しています。

連絡先:080-1403-3578(近藤)

 

集いでは運営のお手伝いをしてくださるスタッフを募っております。


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20180609 第55回集いを開催致しました!

意外に近い台湾と東南アジアの繋がり                           ~日本統治時代から蔡英文政権「新南向政策」まで~

 6月9日、大阪市内のフラッグスタジオにて第55回日本と台湾を考える集いを開催致しました。今回は台湾に関する著書を多数執筆されております酒井亨先生をお招きし、いつもとは違ったアカデミックな視点で台湾へのアプローチを行いました。また、サブスピーカーとして我々スタッフの朝河からマレーシア駐在時の経験を元に中華系マレー人に関する報告を行いました。

 

 これまで台湾という地理的範囲内で台湾を捉え政治、社会、文化を語って参りました。しかし、中華人民共和国が拡張を続けその勢力を果てはアフリカ迄延ばそうとしている時に、台湾だけでは語れない状況が国際政治の世界では繰り広げられております。台湾は国際社会での生き残りを掛け、この状況をどう乗り切ろうとしているのか。

 

 北は日本と組み、南は東南アジアとの連携を強め中華人民共和国の脅威に立ち向かいます。同じくその脅威を受ける日本はその台湾の動きと連携しこの複雑化する東アジア情勢の中で如何なる立場を取るべきか。国際政治の最先端とマレーシアの現場からの報告をもとに日本と台湾を考えました。


講師ご紹介 酒井 亨氏(公立小松大学准教授) 

 

略歴:

早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、台湾大学法学研究科修士課程修了。

大学卒業後、共同通信社記者。退職後は台湾に移住し、民主進歩党系シンクタンク「新境界文教基金会」に勤務する。神戸大学大学院国際協力研究科客員教授、金沢学院大学経営情報学部准教授を経て今年4月、公立小松大学国際文化交流学部准教授就任 

 

 

著書:

「台湾海峡から見たニッポン」、「「親日」台湾の幻想」、「台湾人にはご用心!」、「中韓以外、みーんな親日: クールジャパンが世界を席巻中」、「アニメが地方を救う!!~「聖地巡礼」の経済効果を考える」、「アジア 反日と親日の正体」、「台湾×夜市:ワンテーマ指さし会話」等多数。 

 

 


酒井先生の講演内容


中華系マレー人について

 中華系マレー人について講演を行う集いスタッフの朝河です。マレーシアに駐在していた時の体験をもとにした報告です。

 

 華人、華僑。我々がイメージとは違い、見た目は中華系でもアイデンティティはマレーシアに有り。実体験に基づくとても興味深い報告でした。

 


(報告2) 中華系マレー人(華人)について 

朝河孝元 氏

 2014年から2016年までの3年間、シンガポールに隣接するマレーシアのジョホールバルに仕事の関係で滞在した。

当集い第49回の報告では、マレーシアでの生活の模様など入門編的な話をしたので、今回は中華系マレー人について紹介したい。

 

 マレーシアにはマレー系、中華系、インド系がいる。中華系マレー人にもいろいろあり、一番多いのは1代目(じいちゃん・ばあちゃん世代)が1900年以降にマレーシアに移り住んできた人達。仕事で知り合ったマレー人2人へのインタビューを通して、中華系マレー人についてイメージを持っていただければと思う。

 

・1人目 友人A君 (会社近くで喫茶店を営む30代既婚男性)

 

 マレーシア東部クワンタン出身。客家語(はっか)、福建語(ほっけん)、マンダリン、マレー語、英語の5か国語を使える。他にも、店に来る客に合わせて、日本語を含めいくつかの言葉を少し話せる。80年代以降、特に2000年以降に義務教育を受けた世代では、マンダリンが中心で、客家語、福建語はあまり分からなくなっている(1980年代にマレーシアと中国の国交が結ばれてから中華学校でマンダリンを勉強することになった)。客家語、福建語を話せるのは、自分たちのルーツとして、母方か父方の言葉だったため。マンダリンとマレー語は中華学校で習う。高校や大学で使われるテキストは英語なので、英語も必須になっている(ただし、会話では中国語やマレー語の影響を受けた独特の英語が使われることがある)。

 

 アイデンティティを聞くと、「自分はマレーシア人だ」と即答する。シンガポール等では、小学校から英語しか使わず、中華系であっても、中国語は話せても書けない場合がある。それに比べると、マレーシアの華人は、中華学校でマンダリンを習うので中国語が使え、中華系であることを維持している(インドネシア等でも中国との関係が強まるに連れて、自主的に中国語を学ぼうという動きは強まっている、と聞いた)。マレーシア系とシンガポール系の華人同士が、結婚する可能性はあるか、を聞くと、国籍・アイデンティティが違うので基本的には「ない」とのこと。

 

 最後にマハティール新首相について聞くと、華人の王であるジョホール王をマハティールさんが尊敬していることから、(華人が尊敬する国王を尊敬するなら大丈夫だということで)マハティール新首相に期待しているという回答だった。

 

・2人目 職場の同僚Bさん (カリマンタン島出身の40代既婚女性)

 

 化学系の大学を出て地元の仕事を探したが、仕事は半島の方にしかなかった。マレーシアではブミプトラ政策(途中で入ってきた中国系マレーシア人やインド系マレーシア人よりも、初めからその土地に住んでいるマレー人を雇用,教育などの分野で優遇する制度)で、どの国立大学にもマレー人の優先入学できる枠(定員の68割)が割り当てられている。残りの枠をほかの華人等が争うことになるため、そこに入るには高い偏差値が必要で狭き門になる。

 

 マレーシアは女性の社会進出がすすんでいて、7割くらいの女性は、結婚・出産しても子育てと両立しながら仕事をしている。出産前1カ月と出産後2カ月の合計3か月くらいを休む以外は職場に出ている。ベビーシッターや保育所を利用しやすい環境がある。14時間預けて月額が1万円程度の負担ですむことから、女性も子供を預けて仕事に復帰する方が有利。シンガポールに近いジョホールバルは物価が高く、共働きでないと大変、という事情もある。子供を育てることに対しては、将来に向けて投資的に見る意識が高い。子供が沢山いれば、自分の老後が楽になるから、沢山育てようという意識。それで教育にも熱心で、2~4歳で英語は習い始める。イギリス系のインターナショナルスクールなども人気で、将来世界に羽ばたくような子育てを意識している親も多い。職場から定時に帰るのは、あたりまえ。

 

 マレー人同士の会話ではマレー語。イスラム圏なので、ハラル料理を食べる。マレー人と華人の結婚はほぼない(生まれた子供は中華系として扱われ、ブミプトラ政策のもとではマレー人、華人のどちらにも一緒になるメリットがないため)。華人や日本人など、マレー人のいない宴会などでは、ブミプトラ政策のグチが出る。(大学に入れないと技師などの国家資格がとれず、資格がないと国家公務員にもなれない環境のため)オフの時に、マレー人が中華系と過ごす、ということもあまりない。

 

まとめてみると・・・

 

 自分としては華人について中国との関わりを最初イメージしていたが、彼らのアイデンティティは「自分はマレーシア人」であって、中国に対して特に親近感も持っていないことがわかった。中国語が話せることを自分の特長と捉えている程度。自分の個というものをしっかり持って、多民族国家マレーシアの中で生きているという印象。

 

 また、日本に対するスタンスは、いたって中立的。過去の歴史については意識していなくて、東アジアからいま入ってくる情報を同じように受け止めていているようだ。30代以上は日本アニメの影響が強かった。20代以下はKPOPの影響で韓国のイメージが強い。

 

 華人ならではの文化として、旧正月に料理の皿を高く掲げることが恒例行事になっている(高く掲げるほど自分の夢や希望が叶うとされる風習)。

 

 過去にイギリスが東南アジアを支配した時には、イギリス人が直接ではなく、華人に現地人を管理監督させる体制をとっていた。その中華系を日本軍が追い払ったというのが現地での共通認識。なので、シンガポールなどの華人は「自分達が日本のせいで被害を被った」という意識を持っていることが多いが、移住してきた歴史が比較的浅い中華系マレーシア人にとっては、そのあたりはひとつの歴史でしかないようだ。ジョホールバルの歴史館は「祖国を独立させたきっかけ」として戦争を捉えていて、日本軍がいかに果敢にジョホール水道を超えていったかを讃えているのに対して、シンガポール側の歴史館では歴史の事実だけを並べているあたりに、スタンスの違いが感じられる。ひと言で華人と言っても、出身地や来た年代によって、日本に対する感情はかなり違う印象を受けた。

 



質疑応答内容


当日は台北駐大阪経済文化弁事処の黄水益部長にもお越し頂きご挨拶を賜りました。黄部長、有り難う御座いました。


今回より茶話会という形で皆さんの交流をはかれる場を設けました。

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20180609 第55回集いを開催致します!

意外に近い台湾と東南アジアの繋がり                           ~日本統治時代から蔡英文政権「新南向政策」まで~

 蔡英文政権が脱対中依存を目指してかかげる「新南向政策」は、李登輝政権時代の「南向政策」の焼き直しだが、そのルーツは日本統治時代にある。日本の南方進出に沿って、戦前台湾人も東南アジアや南洋諸島に展開し一部現地化したことが人脈に繋がつている。日本にとっても東南アジアは外交安保的に重要であり、日台関係が広くアジアの中で見て実は要になる。台湾に関心を持つなら、東南アジアにも目を向けよう。私たち一人ひとりができることを考えたいと思います。

 


講師ご紹介 酒井 亨氏(公立小松大学准教授) 

 

略歴:

早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、台湾大学法学研究科修士課程修了。

大学卒業後、共同通信社記者。退職後は台湾に移住し、民主進歩党系シンクタンク「新境界文教基金会」に勤務する。神戸大学大学院国際協力研究科客員教授、金沢学院大学経営情報学部准教授を経て今年4月、公立小松大学国際文化交流学部准教授就任 

 

 

著書:

「台湾海峡から見たニッポン」、「「親日」台湾の幻想」、「台湾人にはご用心!」、「中韓以外、みーんな親日: クールジャパンが世界を席巻中」、「アニメが地方を救う!!~「聖地巡礼」の経済効果を考える」、「アジア 反日と親日の正体」、「台湾×夜市:ワンテーマ指さし会話」等多数。 

 

 


開催日程等

開催日程:2018年6月9日(土)

開始時刻:13:30〜17:00(13:00受付開始)

参加費: 1,000円(一般)

      500円(学生、高校生)

     台湾からの留学生、ワーホリは無料

定員:  70名(先着順)

主催:  日本と台湾を考える集い事務局

     e-mail:  t.forum.kansai@gmail.com                    facebook:  日本と台湾を考える集い

 

講演会後に講師を交えた茶話会を予定しております。

当日の講演テーマ

〜意外に近い台湾と東南アジアの繋がり〜

 

東アジアの情勢が予断を許さぬ状況に在る中、日本、台湾は地理的に極めて重要な位置にありますが、東南アジアの重要性も益々高まっております。当講演では台湾から更に南に目を向け更に大きな枠組みの中で日台交流の重要性を理解して行きたいと思います。

 



開催場所

名称:フラッグスタジオ

住所:〒550-0006 大阪市西区江の子島2-1-37

         阿波座ライズタワーズフラッグ46 1階

最寄り駅:

地下中央線・千日前線:

「阿波座」駅8番出口方面から西へ約150m



 お申し込みはコクチーズから!


参加申込みは↑

主催:日本と台湾を考える集い事務局

https://tsudoi-jptw.jimdo.com/

 

日本と台湾を考える集いは日台の相互理解の促進をめざし、関西を中心に活動をしている場です。

日台の歴史・政治・文化等幅広い課題を取り上げ、学びの場として集いを開催しています。

連絡先:080-1403-3578(近藤)

 

集いでは運営のお手伝いをしてくださるスタッフを募っております。


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20180422 第54回集いを開催しました!

羅國隆氏

辻井正房氏


日台関係の一層の強化に向けて

 第54回は台北駐大阪経済文化弁事処文化教育課長の羅國隆さん、日本李登輝友の会常務理事の辻井正房さんから貴重なお話を、そして「集い」事務局スタッフのふぉるもさライダーさんから直近の台湾旅行体験談を頂きました。

 

 台湾と日本の交流は地震の際の相互の助け合いからも見て取れる通り益々深まっております。その規模も益々大きくなり人の行き来は年々増加の一途を辿っております。これからは国レベルの交流から自治体レベルの交流に重きを置き日台交流推進して行く事になる、と羅課長は語ります。また、李登輝元総統に出会い、その言葉に感銘を受けた辻井さんはこの4月、中華民国外交部長(外務大臣に相当)から「外交の友貢献賞」を受賞しました。75歳と齢を重ねながらもまだまだ現役で力強く民間交流を推進しております。ふぉるもさライダーさんは、台湾好きが高じて 「湾製」 のバイクを愛用するようになった、当集いのスタッフです。今回は台湾の離島・澎湖島でのバイク旅の体験を語って頂きました。

 


講師ご紹介

羅 國隆氏(台北駐大阪経済文化弁事処文化教育課長)

台北駐大阪経済文化弁事処文化教育課長

1954年 台灣台南市生まれ

1975  台灣国際商業專科学校(短大)会計統計系卒

1983年 拓殖大学商学部貿易学科を経て修士取得

1983年 亜東関係協会東京弁事処入職

1990年 中華民国教育部国際文教処入職

2015年 台北駐大阪経済文化弁事処文化教育課長 

 

 

辻井正房氏(日本李登輝友の会常務理事)

昭和17年生まれ、大阪府吹田市在住。 昭和41日本大学芸術学部卒。 千里丘タクシー㈱代表取締役社長ほか千里丘観光開発㈱役員自衛隊摂津協力協会会長 、大阪日華親善協会理事、日本台南市後援会 顧問 


当日の講演会内容をご覧ください。

 

 

 

(講演1) 台北駐大阪経済文化弁事処文化教育課長 羅國隆 氏

 

  こんにちは。今日は総領事が来られず、課長の私が参りました。皆さんはもしかすると台湾のことについて私よりも詳しいかもしれない。一緒に勉強して行こう。

 

  台湾と国交がないため、日本の学校でも台湾のことをとりあげることは少ない。この集いの活動には日台の事情を伝える交流の場を提供下さっていることに対し感謝している。今後長く会合が続けていけるようにお願いする。

 

  私は台南の烏山頭ダムの上流の山奥の方で生またので、子供の時に親から八田与一様のことを教わり、レコードで日本の演歌を聞き、日本に憧れを持った。そして高雄市の短大入学時に日本語の授業ができ、日本語をもっと上手になるため補習班で夜にも勉強した。それから日本への留学をして卒業後に教育部(文部科学省に相当)へ就職し、そして日本勤務の機会を得て日台文教交流の事務を推進していくことができ、本当に幸運だと思っているので今後もっと仕事に励むとともに皆様のご協力をお願いしたい。

 

  台湾は日清戦争後日本統治時代になり、日本は国勢調査、戸籍制度の整備、教育、鉄道敷設などを施行し、台湾の発展に貢献した。八田与一様は台湾に烏山頭ダムを作り、大変な貢献をしたので、台湾でいちばん有名な日本人になった。烏山頭ダムは建設当時60年の寿命とされたが、わが台湾政府がダムを継続使用していく時の安全かどうかの専門家委員会を立ち上げ、検査した結果、引き続き活用できるとの結論が出された。

 

  あとからできた大きい曽文ダムの水を烏山頭ダムに引き込むようになって、以前よりも活用用途が広がった。今では、農業用水、民生用水、工業用水、観光及び発電にも使っている。烏山頭ダムの水で善化の酒製造工場でビールも生産している。(別名「八田ビール」と呼ばれている。)ダムの近くにあった当時の八田与一様らの住居も復元され、記念公園に整備された。今や日本と台湾の交流のプラットフォームになっている。

 

   台日間で民間交流 文化協力交流がスムーズに行われている。これまで両国の窓口機関として機能してきた台湾側の亜東関係協会、日本側の交流協会は、それぞれ2017年に、「台湾日本関係協会」、「公益財団法人日本台湾交流協会」へと名称を変更し、今後一層の交流活性化が期待されている。

 

 2016年に行われた台湾での世論調査では、「あなたの最も好きな国はどこですか」という質問に対して、56%の台湾人が「日本」と答えている。また、日本人の台湾に対する意識調査(201711月)によると、「台湾に親しみを感じますか」の質問に対して、「親しみを感じる」の回答が29.9%、「どちらかというと親しみを感じる」が39.1%で、合わせて69%になっている。

 

  BSE(牛海綿状脳症)の影響から台湾は2001年以降、日本産牛肉の輸入を禁止していたが、昨年9月18日付で解禁した。

 

  台湾は日本と同じ価値観を持ち、近くて安全な国、物価も安い関係で、日本の高校生の修学旅行先は、去年はじめて台湾がいちばんになった。台湾の教育システムは日本と同じ、現在も沢山の留学生が交互に留学をしている。両国のスポーツ、文化芸術交流も盛んに行っている。

 

  中国の台頭でアジアが不安定になっている。台湾と日本は運命共同体であり、日米台が協調して第一列島線を守らないといけない。これからの友好関係を展望すると、台日は普遍的価値観を共有していて、各分野において協力が可能だ。そうすることでアジアの地域安定にも役立つ。今後の両国関係の目標は、地域交流の強化。すでに80を超える姉妹協定などがむすばれている。

 

  「日本と台湾を考える集い」の活動を、ぜひこれからも大いにやり続けていくようお願い致します。

 

 

(講演2) 日本李登輝友の会常務理事 辻井正房 氏

 

 はじめて台湾に行ったのは1979年。ここ10年で、台湾のことに強く関心を持つようになった。私と台湾とのこれまでのつながりについて紹介したい。

 

  日大の芸術学部に入り、ワンダーフォーゲル部に所属した。尾根歩きや街道歩きを楽しんだ。沖縄に行くにはパスポートが必要だった時代、パスポートなく行ける西端の与論島を訪ねた。休みのたびに通い、島の人が親戚のような存在になった。今も交流を続けている。就職は映画配給会社MGMの宣伝部。当時、「風とともに去りぬ」がドル箱だった。ロードショーがはじまる時には監督やスターの舞台挨拶があり、彼らが大阪に来ると決まって京都見物に案内した。「ドクトル・ジバゴ」でジバゴの妻トーニャを演じたジェラルディン・チャップリン(チャールズ・チャップリンの娘)も太秦に案内したことがある。妻の叔父が阪神タイガースの球団社長という縁で、広告制作代理店の仕事に関わるようになった。タイガースの自主トレやキャンプにも同行。掛布を使ったキンチョーのCMを作ったりした。キンチョーの社長は青年会議所の先輩だった。

 

  その後、大阪で親の会社を継いだ。

 

  青年会議所(日本JC)は青年実業家で構成され、40歳までしか活動できない組織。アメリカからキッシンジャー氏を招いて開催したイベントでは全国から3,000人を集め司会をつとめた。JC時代に、全国のいろんな人とつながりができた。自分の所属するJCが台湾の団体と姉妹提携することになり、1979年に大甲(現 台中市)の国際青年商会を訪ねた。そこから台中の団体との交流が続き、台中で宴会、台北に戻って帰国日の朝ゴルフという活動が永らく続いた。今振り返っても、戒厳令下、政治の話は全くしなかったように記憶している。

 

 2010年に、台中近くの観光に行き、日本のものがたくさん残っていることに改めて気づいた。李登輝さんや片倉さん等の本も読み、そこから李登輝友の会の活動に加わるようになった。翌2011年には、自衛隊関係の団体で、馬英九総統を表敬訪問。圓山大飯店で、李登輝元総統に「日本人がんばれ」と発破をかけられて涙がでた。李登輝学校には第16回から第23回まで、ほぼ参加している。

 

 そこで知り合った近藤さんに誘われて台北で食事会に参加した。このことが今日につながっている。出てこられる限り参加していろんな講師の話を聞きたい。

 

 李登輝友の会の大阪支部長としての活動に入り、李登輝さんを招聘して大阪で大きなセミナーを計画。大阪講演会・実行委員会委員長の立場で準備に打ち込んだ。2014920日(土)の夕方、大阪府立国際会議場(グランキューブ大阪)のイベントホールに、1,600名規模の参加者を集め「これからの世界と日本」を熱く語っていただいた。セミナーは70人のスタッフの協力で大成功。そのことでいろいろと良い評価をしてもらえ、大事にしてもらえるようになったと感謝している。李登輝氏は、3年連続して日本に来てくれ、毎回随行した。

 

  さきほど羅課長さんから紹介されたように、台湾から日本への旅客(2017年)456万人に対して、日本から台湾へは190万人であり、日本に来る台湾人の半分も日本から行っていないのが現状だ。

 

  会社経営を若手に委ね、時間的余裕ができたいま、自分で自覚しているくらい生き急いでいる。年に6~7回は訪台し、去年は、蔡焜燦氏の自慢していた清水公学校を見に行った。次の世代の人に日台の交流を引き継ぐことが自分の役割だと思っている。

自分の母校では、高校の修学旅行にマレーシアに行っていたのを、3年前から台湾に行ってもらっている。

 

 現在、私は大阪日華親善協会の理事を拝命し、日本台南市後援会の顧問にも就いている。

 20184月には、思いがけず中華民国外交部長(外務大臣)から、「外交の友貢献賞」を受賞した。表彰式に先立ち、頼行政院長も表敬訪問させていただくことができた。

 

 日本の国会議員の多くは中国派だ。蔡英文総統と安倍総理の間柄だから、日台の関係がここまで深まったように思う。せっかくここまで密接になった関係をさらに深めてほしい。

 

 75歳を迎え、あと何年がんばれるかわからないが、台南の飛虎将軍廟にお参りするたびに「また来られますように」と祈っている。

 

 

  (3) 意見交換

 

 ① この集いの活動の紹介 (事務局より)

 

 「日本と台湾を考える集い」は今年10周年を迎える。過去の開催実績を見てもらうとわかるように、様々な課題を取り上げてきた。今後も台湾をいろんな立場で考える場にしていきたい。

 

 烏山頭ダムをユネスコの世界遺産に登録しようという活動に「集い」も携わった。台湾が国連に加盟していないことから難しいが、記念公園の整備が実現した。また沖縄と台湾の関わりは昔から深く、台湾に渡り漁法を伝えた沖縄の漁師らの生活と現地での交流の歴史を後世に伝えるための「琉球ウミンチュの像」が基隆に完成(201112月)した。さらに沖縄にはまだない台湾人戦没者の慰霊施設をつくる取り組みにも関わり、「台湾の塔」が完成(平成286月)した。これらはすべて講師にもお招きした澎湖出身の許光輝さんが提唱したものであり、現在、李登輝元総統の揮毫による新たな碑の建立が実現する方向に向かっている。

 

会場より質問

 

② 李登輝氏の健康状態はどうか。

 

辻井氏より回答

 今年1月に95歳になられた。2年前に脳が詰まり指が不自由になった。去年4回会う予定がドクターストップで当日になって会えないことが2回あった。現在は、「台湾和牛」~日本統治時代に台湾に運ばれた和牛の血を引くとされる、台湾に残る数少ない台湾牛を品種改良したもの~を花蓮で育成する活動に力を入れている。また、新たな政治団体「喜楽島連盟」を立ち上げ、台湾独立の国民投票を来春やろうという話をすすめている。また日本にも来たいとおっしゃっている。

 

③ 震災支援でお世話になった台湾のことを勉強しようとしても図書館に全く本がなかった。台湾の郷土学習用の副読本を日本でも手に入れ  て販売することはできないのか。

 

羅課長より回答

 国交がないから日本では台湾のことにふれていない。国内3ヶ所の華僑学校には図書を送って来ている。大阪中華学校には台湾紹介の書類が少しはあるので、先生に連絡すればいいと思う。日本の書店での扱いは営業的に難しいのではないか。

 

事務局より回答

 教育現場には第三者が入ることが難しい。片倉佳史さんの本を地元の図書館に置いてもらうようリクエストする活動には、取り組む意義があるのではないか。台湾に関する本へのリクエストが多くなれば、動きが出るかもしれない。

 

 台湾では、台南市安南区の小学校で郷土史として飛虎将軍のことを教えている。絵本を作りすばらしい活動をしている。

  飛虎将軍廟の解説パンフレットは、集いのFacebookページにカラーで紹介している。

 

 日本は戦後、台湾を見捨ててむこうの人に大変ご苦労をかけた。それなのに、台湾に貢献した昔の日本人のことを、きちんと伝承してくれている。日本でも教えてもらえるといい。

 

台湾に在籍している日本人学生が8,000人を超えた。台湾からも日本の大学にどんどん留学している。留学の状態について、羅課長さんから詳しくお話いただきたい。村上顧問より)

 

羅課長より回答

 国際交流を重視して学生の留学や送り出し、受け入れに取り組んでいる。台湾は、学費が日本の大学より安い。台湾に162校の大学があり、台湾でも 小子高齢化が進んでいて、地方の大学が学生募集に苦戦している。奨学金の情報もホームページに載っている。中国語ができないときに申請できる奨学金もある。東京の 台北駐日経済文化代表処 で一括して申請受付している。台湾は9月1日から新学期。学生は2月ごろから大学と奨学金を探しはじめる。

 

 日本と台湾で姉妹校の大学では、互いに学生を派遣している。期間は1ヶ月から6ヶ月。自分が入った大学に収めた学費からまかなわれ、追加支払いは不要。交換留学中に取得した単位も認められる。もし留学したければ歓迎します。事務所に電話で聞いてくれれば説明します。

  

 


スタッフ報告

 

「スクーターの旅 in 澎湖島」 

 

ふぉるもさライダー

澎湖跨海大橋

西台餌砲

台湾牛


 

 今年2月にはじめて澎湖島を訪ねた。今回の旅の目的は、私の愛車である台湾製スクーター・光陽機車のショールーム(高雄)を訪ねることと、澎湖島をレンタルバイクで走り回ることの二つ。

 

 高雄MRTから高雄LRT(軽軌)に乗換え、夢時代駅で降りたショッピングモールにショールームがある。光陽機車は台湾最大のバイクメーカー。英語名 「Kwang Yang Motor CO.」から KYMCO のブランド名を持つ。(冷蔵庫脱臭剤の Kimco とは綴りが違う。)

 

 以前、スクーターのパーツ類は台北で入手済みなので、今回はマグカップやセロテープカッター・砂時計など KYMCO のロゴ入りグッズをお土産に購入。

 

 澎湖の馬公空港までは高雄空港から朝の立栄航空のプロペラ機に搭乗。ヘルメットを持参したせいで重量制限をわずかに超え、往復とも超過料金を支払った。

 

 澎湖では、長春大飯店に投宿。予約時にレンタルスクーターをリクエストしたところ、台湾山葉の125ccが用意されていた。レンタル料は48時間で 800NTD

 

 到着した日の午前中は、現地ガイドの Love Penghu 宮坂大智さん (台湾国内認定ガイド)に案内いただいて馬公市内を散策した。午後から、蛇頭山にある日軍松島艦沈船記念碑を目指してスクーターを走らせた。ちょうど110年前の19081月、練習航海を終えて馬公に立ち寄った旧日本海軍の軍艦松島が爆沈。犠牲者の慰霊碑は、かつて市内にあった記念公園から、戦後、現在の場所に移設された。(初日の走行は約40km

 

 翌日は、澎湖跨海大橋を渡り、西嶼西台(明代末期からの大きな砲台遺跡)、西台餌砲(旧日本軍が米軍を騙す目的で造ったコンクリート製のニセ大砲)を訪ねた。

 

 澎湖では、冬の間、強い季節風が吹く。このため、石積みの壁を築き、これを風よけにして農作物を栽培する「菜宅」が島のあちこちで見られる。今回、この菜宅を見て回る中で、台湾牛にも出会えた。(2日目の走行は約90km

 

 日本人が台湾でスクーターを借りるのは難しい場合が多い(注) が、離島の澎湖なら簡単。スクーターを使えると、道路が広く交通量も少ない島内の移動にとても重宝する。

 

 今回は、シーズンオフのため、残念ながら風との戦いを強いられる寒い旅となったが、かぼちゃ入りビーフン(絶品!)など、美味しい食べ物に出会うことができた。

  次の機会には春から秋に再訪し、「台湾のハワイ」と称される景色や夜のイカ釣り体験をぜひ楽しんでみたい。

 

 (注)  レンタルバイクを借りにくい理由については、当サイト内の 台湾訪問記  をどうぞ。

 

 

 

 


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20180422 第54回集いを開催致します!

羅國隆氏

右側が講師の辻井正房氏(左側は李登輝元総統)


日台関係の一層の強化に向けて

 

 1972年日本は中華人民共和国との国交樹立に伴い台湾人民と統治する中華民国と断交しました。パンダをはじめ熱狂的な日中友好ブームが巻き起こったのですが今はなく、逆に311東日本震災への台湾からの温かい支援をきっかけに日本人は台湾への関心が高まり、昨年は高校の修学旅行先が国別で第一位になったことを含めて約190万人が訪台しました(台湾からは約461万人)。しかし政府間交流がないことから民間交流に限定され日本国民の台湾認識もまだ不十分であると言わざるを得ません。 

 

 54回集いでは領事館の役割を担う台北駐大阪経済文化弁事処文化教育課長の羅國隆さんと李登輝元総統と懇意な辻井正房さんからそれぞれお話をお伺いし意見交換したいと思います。また、「集い」事務局スタッフのふぉるもさライダーから直近の台湾旅行談を披露します。ぜひお越し下さい。


講師ご紹介

羅 國隆氏(台北駐大阪経済文化弁事処文化教育課長)

台北駐大阪経済文化弁事処文化教育課長

1954年 台灣台南市生まれ

1975  台灣国際商業專科学校(短大)会計統計系卒

1983年 拓殖大学商学部貿易学科を経て修士取得

1983年 亜東関係協会東京弁事処入職

1990年 中華民国教育部国際文教処入職

2015年 台北駐大阪経済文化弁事処文化教育課長 

 

 

辻井正房氏(日本李登輝友の会常務理事)

昭和17年生まれ、大阪府吹田市在住。 昭和41日本大学芸術学部卒。 千里丘タクシー㈱代表取締役社長ほか千里丘観光開発㈱役員自衛隊摂津協力協会会長 、大阪日華親善協会理事、日本台南市後援会 顧問 

 


開催日程等

開催日程:2018年4月22日(日)

開始時刻:13:00〜16:40(12:30受付開始)

参加費: 1,000円

定員:  50名(先着順)

主催:  日本と台湾を考える集い事務局

     e-mail:  t.forum.kansai@gmail.com                    facebook:  日本と台湾を考える集い

 

講演会後に講師を交えた懇親会も予定しております(先着23名)詳しくは以下のコクチーズページで!

当日の講演テーマ

〜日台関係の一層の強化に向けて〜

国交断絶状況下において政府間交流が無い中、民間交流は活発化しているが日本国民の台湾に対する認識は限定的です。今回の集いでもう一歩踏み込んだ台湾認識の機会を提供できれば幸いです。

 

講師 羅國隆氏、辻井正房氏

 



開催場所

名称:阿倍野市民学習センター 第2研修室

住所:〒545-0052 大阪市阿倍野区阿倍野筋3-10-1-300

   あべのベルタ3階

最寄り駅:

地下鉄谷町線:「阿倍野」駅7号出口方面から、あべのベルタ

        地下2階通路を通りエスカレーターで3階へ

地下鉄御堂筋線:地下鉄御堂筋線「天王寺」駅より徒歩8分

JR:     「天王寺」駅より徒歩8分

近鉄:     「大阪阿部野橋」駅より徒歩8分

阪堺電軌:       「阿倍野」駅すぐ

 



 お申し込みはコクチーズから!


参加申込みは↑

主催:日本と台湾を考える集い事務局

https://tsudoi-jptw.jimdo.com/

 

日本と台湾を考える集いは日台の相互理解の促進をめざし、関西を中心に活動をしている場です。

日台の歴史・政治・文化等幅広い課題を取り上げ、学びの場として集いを開催しています。

連絡先:080-1403-3578(近藤)

 

集いでは運営のお手伝いをしてくださるスタッフを募っております。


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20180210 第53回集いを開催致しました!


〜日本を思ひ、台湾を想ふ〜

 

 日本は後10年持つだろうか?

 

 そんな衝撃的な一言から始まった第53回日本と台湾を考える集い。

 一瞬凍り付いたような会場の雰囲気を伊原先生の熱い息吹が急速に溶かします。過去の総括は(未来を造る上で)極めて大事、と穏やかな語り口から始まった講演は複雑極まる近代史を先生がこれまで積み上げて来た知の巨塔から1ページ1ページ丁寧に選りすぐられ、判り易く語られる事により聴講者の胸に沁み入ります。

 

 「日本は戦争に突き進んだのではない、巻き込まれたのだ」。

 これまで我々が学んで来た歴史教科書とは違う切り口から時の大戦を分析し、語る眼光から発せられる暗黙の警鐘、「正しく学び、進む道を間違う勿れ」。東アジアの安定に日本が果たす役割、台湾の抱える課題、緩急織り込み時折聴講者に投げかけられる問いに会場は静かな熱気に包まれました。

 

 

 

 「ニッポンのためにがんばれよ」

 それが祖父が私に語った最後の一言でした。

 

 第2部はグラフィックデザイナーである河田先生の台湾愛。教育者としての一面をお持ちの先生はふとした事から台湾との接点を持ちます。台湾好きならご存知の五月天。中国への駐在を命じられた先生が事前に予習をと手にしたのは台湾のロックバンド、Maydayのアルバム。そこから先生の台湾愛は始まります。旅行を重ね台湾愛が深まったある日、3月11日を迎えます。台湾から短期間で巨額の義援金が集まった事に衝撃を受け、先生の台湾愛は深化を遂げます。

 

 台湾を知ることは日本を知ること。台湾の歴史を知り、日本の歴史を知り、更に教育者として父親として日本の行く末を考えた時、その台湾愛は遂に自身のルーツ、祖父へ辿り着きます。先の大戦へ出征されていた祖父の遺品は当地での苦労を語り、もっと生前に話を聞いておくべきだったと悔やむ先生の講演は冒頭の祖父の言葉で締めくくられます。

 

 日本の行く末を案じる知の巨人の「問い」と先生の「台湾愛」はここで図らずも邂逅を果たしますー。


講師ご紹介

 

伊原 吉之助先生(帝塚山大學名譽教授・21世紀日本アジア協会会長) 

* 以下「21世紀日本アジア協会」ホームページより抜粋

 

昭和5 (1930) 317日、大阪府堺市生れ。弱電技師を目指して大阪市立都島工專電氣科(大阪市大工學部の前身)に學び、電氣より人間に興味ありと悟つて哲學青年になる。社會について學ぶため、昭和25(1950)年、新制神戸大學經濟學部に入學、昭和 34(1959)年に同大學院經濟學研究科(博士課程)修了。學位=經濟學修士。專攻=社會思想史 (歐米・日本・中国)

 

定年退職後、日本・中國・台灣・歐米を文明史の觀點から見直し中 (現役時代より猛勉中!)著作、論文・評論に極めて多数。とりわけ『台灣の政治改革年表・覺書』 (帝塚山大學教養學部紀要)1943年以降現在まで精緻な分析の集大成として台湾側からも活用される貴重な資料となっている。趣味は神戸大學グリークラブ等に参加、モットーは「唇に歌を、心に太陽を」

 

伊原吉之助教授の読書室 (21世紀日本アジア協会) 伊原教授のお勧め本紹介などなど。

 

 

河田 悠輝先生(グラフィックデザイナー)

台湾浪漫

にて台湾に関するブログを綴られております。台湾愛に溢れるページです。

 


当日の内容ご報告

講演1  「今の世の中 台湾と米・中・日」

 

      伊原吉之助先生   (先生の講演を事務局でとりまとめたものです。)

 

 十数年後の日本がとても気になる。このままで持つのかどうか。なぜ日本国民がこんなに鈍感になったのか。国際情勢を話したい。現在は、じっくり読み込みじっくり考え自分の考えをまとめる、のではなく、ネットで情報をつまみ食いする時代なので、人間はみんな小粒になった。情報がありすぎて、信頼できる情報かどうか真偽が判断しにくい時代になった。

 

 大東亜戦争を「日本が悪かった」と考えるか「日本は悪くなかった」と考えるかで今後の方向が変わる。そうすると、過去を正しく総括することがきわめて大事なのに、自虐史観をいまも広めている連中がいる。

 

 教養のある人間は、正字、歴史的仮名遣も使えないとだめだ、というのが私の持論だ。

「他人事」にふりがなをつける際、「ひとごと」が正しいが、NHKでさえ「たにんごと」と誤用する。「たにんごと」という言い方はない。核家族化で祖母祖父と同居しなくなった子供達に、日本の「良いこと」が伝わらない。学校でも日本は国語に割く時間が少ないため、今の日本の子供には正しい日本語が身につかない。

 

 明治以来、日本は東アジアの安定勢力だった。日本がしっかりすれば東アジアが安定し、世界も安定するという関係がある。

   21世紀日本アジア協会のHPに「伊原吉之助教授の読書室」というコーナーがある。2007326日付で、以下の記事を載せているので、読んでほしい。 

           ↓

 

 動物文明から植物文明へ転換しよう/ 力と闘争 より 美と慈悲 を優位に

 http://jas21.com/athenaeum/athenaeum9.htm

 

    日本は、明治以降に指導者教育をやめたのがまずかった。高度成長のあと、次世代の若者教育がおかしくなった。それまでは日教組の偏向教育があっても、現役世代ががんばっていた。

   レーガン大統領は、日本を経済戦争の本当の敵とみなしたプラザ合意以来、いまだにアメリカが構造改革の要求をしてくる。

 日本はルーズベルトに戦争へと挑発されて逃げられずに負け、レーガンに円高誘導され経済戦争に負けた。二度、アメリカに負けている。「日本を弱いまま属国で置いておこう」という考えはいまもアメリカに根強い。

 

 支那人は蔑称ではない。中華民国以降を「中国」と略するのはまだいいとして、なぜ清朝を中国というのか。「支」の字を使うのは日本が本流、他が支流のようで良くないとされ、戦後に使わなくなった。家康が豊臣家を攻撃する口実にするため、鐘の銘に〈国家安康〉の文字があるのは〈家康〉を分断する文言だと難くせをつけたのと同様のゴリ押しだ。なぜ英語読みの「チャイナ」を日本人も言わないといけないのか。歴史を通じていう場合、私は支那という。

 

 アメリカのフランクリン・デラノ・ルーズベルト(F・D・R)大統領は社会主義者で、妻は共産主義者だった。 事務局注1)

    国際金融資本は儲けの障害になるため国境を嫌う。この点が共産主義と共通している。それで、F・D・Rはソ連スパイを支援していた。最初の大統領選挙の際、娘婿が選挙参謀を引き受けた。その後、娘婿は「おやじさんは誰かに操られている」と感じて離れ、後年、「操られたルーズベルト」の本を書いた。F・D・Rはドル札の印刷機・用紙などをセットでソ連に送っていた。それで刷ったドル札を使ってソ連はアメリカで各種の工作を行った。F・D・Rは大犯罪者である。

 

    日本人は開戦前に突きつけられたハル・ノートの内容を暴露すればよかったのに、黙ったまま戦争に向かった。

   

    戦犯の第一号がF・D・Rと言えるが、アメリカの学会はF・D・R批判を今も封印している。スターリンは、外国人も資本家もともに信用していなかった。アメリカを信じずに冷戦へと進んだ。アメリカのF・D・Rがソ連を支援していたことは記録されるべきだ。

 

     我が国は「国賊」だらけだ。反日日本人が国の中枢にもいる。北朝鮮系の学校に国有地を貸与していたなど。北朝鮮工作員を逮捕したら自民党上層部から釈放圧力がかかったことがあった。それ以降、どんどん拉致してよいのメッセージになった。

 

    GHQは、戦後、「日本の警察権力は第三国人に及ばず」と言い、朝鮮人関連の暴動が相次いだ。事務局注2)

    GHQによる日本占領が7年で終わり、警察の権力が三国人にも及ぶようになると、朝鮮系は大挙して沖縄へ移住し一坪地主になった。いまも反基地闘争にハングルが出る理由がこれだ。日本ではいまだにいろんな機関(報道など)が占領政策を守っている。毛沢東はアメリカが中国に攻め込むのに備えて対日工作をはじめた。

 

    台湾 日本と運命共同体

 

   中国が第一列島線を超えて太平洋へ進出するためには、尖閣と台湾を取る必要がある。チベット、ウイグルは「自治区」という名前だが、実態は違う。日本・台湾ともにアメリカの従属国だ。(外交と防衛を外国に委ねているのは他国の属領ということになる。)従って荷物になればいつでも見放される。

 

   吉田茂がひとりで講和条約に署名した責任は重い。占領軍は治安維持だけ行うのが普通なのに、日本の占領では制度をいじりまわった。「アメリカ占領時代の法は全部取り替える」と日本が宣言すればいい。「新憲法は廃止して、不文憲法でいく」という選択でもよい。「改正」というと基本は正しいと認めることになる。反日日本人に足を引っ張らせてはいけない。日本は憲法を変えずに、解釈憲法として適用の仕方を調整してこれまでやってきた。これで法治国家と言えるのか。吉田茂は、米軍が定めた法律を無効として米軍に帰ってもらい、その後に安保条約を結ぶべきだった。米軍人が自由に(出入国手続きなく)ノービザで移動できる。これが、日本=属国のあかしだ。

 

   日・台ともに売国派が実権を握ると大変なことになる。

   老 / / の三世代構造があるのは日・台に共通する状況。

   日本の中年世代は、日教組の教育に毒されて反日日本人が多い。

 

   台湾でも中年世代は日本語世代(老)の下の世代にあたる。蒋介石の反日教育を受けているので反日の人も多い。

 

   馬英九が中国人の台湾観光を認めたことで、台湾で中国人を見かける機会が増えた。それを見た台湾の青年達は、「こんな連中と我々が同じはずがない」と実感してみな中国人嫌いになった。それが、「天然独」と呼ばれる若手世代。

 

   次世代教育が大事なのに、日本では明治維新以降の現代史を教えない。邪馬台国ばかり教える。今年は明治150年。江戸から数えて400年だ。そういう認識のしかたの方が大切。庶民まで文化を楽しめるようにしたのが江戸時代で、江戸時代の庶民は読本(よみほん)を喜んで床屋で読んだ。

 

   漢詩はルール、漢字、古典の知識が求められるので、詠むには相当な知識レベルが必要。

   日本の漢字かな混じり文は速読でき、複雑なことを表現できる。

   金田一春彦は、岩波新書で「日本語に驚嘆する」と言っている。

 

   強い対中依存のもとで台湾経済が空洞化したために、蔡英文になってから成長率が上がったが若者の就職が良くない。(既に企業が残っていない。)

  これが台湾の大陸への経済進出をやりすぎたツケ。

  技術も資本も摂取されて戻らない構造にある。

 

  中国共産党政権は、生体解剖、外国人への臓器売買で大儲けしている。ナチスを非難する人はいても、それ以上のことをしている中共を非難できないマスコミ。中国は常識で対応できる相手ではない。

 

   戦後、台湾は支那を祖国と誤認したが、あの時、日本敗戦を機に独立すべきだった。228事件では、10万人以上が殺されたと台湾人は主張する。記録は残されていない。『裏切られた台湾』(ジョージ・H. カー著、訳本 同時代社 20066月刊)こういう本はいつでも手に入る状態にしておいてほしい。支那人がどんな人種か知るうえで、日本人が一度は目を通しておくべき本。

 

   蔡英文政権は、米・中の両方からいじめられている。

   台湾は国名を変えたいが、アメリカは中華民国から台湾に変えてはいけない、現状を変更するなと言う。一方、中国は中華民国の名称を使うなと言う。

 

 満州事変以降の領土を是正するのが本来のサンフランシスコ講話条約だったはず。ソ連に千島を取られ、韓国に李承晩ラインを設定され、韓国内で反日教育をされている。

 

 蔡英文政権がめざしたやるべきことは、高率の利子の廃止と、国民党の不当財産の返還の2つ。不当財産の返還は、陳水扁政権の2期目にやっていれば国民党の財産を没収できたが、もう散財、隠されていて手遅れ。国民党は一党独裁なので、陳水扁の不当逮捕に対して、蔡英文は大赦すべき。蔡英文には、国際政治の知識はあるがずる賢さはない。もっと台湾らしさを出すべき。今年3月の選挙が信任投票の意味をもつ。

 

 日本のように有権者の半分が来ない投票は意味がない。民主主義が機能していない。若者が投票に行きたいと思わない国の民主主義が生き生きとしているはずがない。日本は、あれもこれも選挙で禁止して面白くないものにした。台湾では屋台がでる。

 

 蔡英文は再選されないかもしれない。頼清徳行政院長(首相)が代わりに出て通る可能性はある。

 

 プーチンは共産主義嫌いだが一党独裁に近い形態に戻そうとしている。大統領に選ばれる限度に来ており、憲法を改正しないと再選されない。中国と結んでアメリカと対抗しようとしているが、中露はもともと仲は良くない。

 

 中国は、国土を酷使して15億の国民を食えなくして人であふれている。

 世界中に中国人を出してチャイナタウン(無法地帯)をばらまいている。

 日本にも中国領のような住宅地が各地にできている。

 ロシアはろくに人がいない。政府がロシア経済支援をはじめているので北方領土は帰ってこない。

 日本も、もっと悪い勢力に対しては手をつながざるを得ない。

 

 中国共産党は、日中両国民の敵。

 

 朝鮮では安定した国は作れない。李朝は権力争いのみの、かかわりたくない国。朝鮮のせいで外国と戦わされ、大陸に拠点を作らされ、そこを守らされた。日本こそ、朝鮮に補償してもらいたい。近所迷惑もはなはだしい。

 

 習近平の側近は、イエスマンばかり。中国は大東亜戦争の日本の戦い方が、「統一戦線」の逆だと笑う。日本は欧米をみな敵に回して単独で戦った。(日独伊三国同盟はあっても、独伊とも日本を助けに来られる位置にはなかった。)

 

 中国は、2021年に中国共産党の建党100周年を迎える。

 それで、2020年までに台湾を武力接収すると言っている。

 この動きに対して、米国務省は親中で国防総省は親台湾。台湾では、最近アメリカ大使館を建設している。立てこもれる作りになっている。

 

 トランプはハッタリ屋で、最初にいちばん厳しい条件を言い、途中で手を打つ。

 自らを引きこもり主義ではない、と言い、最近、安全保障については戦う用意を見せている。

 

 このような環境の中で、我々は日本をしっかり守らないといけない。

 

  事務局注1)

 ローズベルトとの表記もあり

  

 事務局注2)

 Wikipediaによると、GHQが日本の統治下に置かれていた旧植民地の住民は戦勝国民・中立国民のいずれにも該当しないとして、「third nationals(第三国人)である」と規定したとする説が紹介されている。

 

  (講演後の意見交換での補足解説)

 

  1. 日本の安全保障の現状について 

 日米の安全保障は、本来、対等な連携が望ましいと思うが、日本は情報機関さえ持っていないので自立できていないと認識している。実は、日本の自衛隊は、自衛さえできない。戦車で橋を渡ろうとしても、そうした設計になっていないので重量に耐えられず通行できない。また、敵の上陸地点に部隊を急派しようとしても、特別法がないため、避難民が道路に溢れているうちは道が空くまで進めない。これでは自衛の活動さえできない。これは、アメリカと安保条約を結んでいるので外から攻められるはずがない、の前提で、必要な法整備を行わずに放置してきたため。

 

 また、自衛のためなので最小限の防衛で良い、と考えて、国内の警察規定を適用していて、警官のピストル使用の際の、最初の一撃を撃ってはいけないというルール(撃たれてから撃ち返せ)を自衛隊にも求めている。相手に第一撃を許してから有効な反撃をしようとするなら、相手の1020倍の軍事力が必要になるのが常識だ。こんな馬鹿な状態で独立国とは言えない。

 

 アメリカを再び敵に回すことはしてはいけないから、日米同盟は結び続けないといけないが、だからといって属領のような状態になっていることは問題。

 

 

 . インドについて

 

 これまで「アジア太平洋」と言っていたアメリカが「インド太平洋」と言い出した。インド重視は安倍総理の持論でもある。

 インドは世界有数の人口大国で、やがて中国を抜き世界一の人口になる。大国なのに民主主義で治めようとしている点で注目されている。識者は中国包囲網もありインドに注目する。華僑に対し「印僑」という言い方もある。インドを考えて日本の安全保障策を考えるのは大事だが、言葉の多さ、政党の多さからインドはまとまりが悪い。もっと日本人は印度のことを知って、安全保障の材料として考えていくべき。

 

 これから目が離せないインドについての好著。

 ロバートカクラン著 「インド洋圏が世界を動かす」 2012 インターシフト刊 

 

  

 . 蒋介石の日本に対する「以徳報怨(いとくほうえん)」演説の真相

 

 蒋介石は武人として立身出世した。ドイツにしきりに接近し、資金援助や弾薬工場・銃器工場の建設支援を要請している。

 ドイツは、第一次大戦で日本の参戦により青島、南洋群島のドイツ領土と権益を失うことになり、日本に恨みを持っていた。それで、蒋介石はドイツ帝国陸軍から軍事顧問団を招いて助言を得ていた。

 

 (三国干渉をロシア皇帝にさせたのはドイツなのだから、日本側にこそ恨みがあるぞと言いたいところ)

 日本に復讐したいドイツが蒋介石をたきつけて訓練して行ったのが第二次上海事変。

 

 中国人は、あらゆる他人を利用して(頼って)、用済みになると捨てるという傾向がある。

 

 蒋介石は、アメリカから軍事援助を受けながら、できるだけ日本軍と戦わず共産党軍に向けるため武器を温存する作戦を採った。それでアメリカが蒋介石に愛想を尽かして、延安の共産党軍へ出向き、2~3度、軍事顧問団も送っている。

 

 大戦後に、蒋介石が中共軍を叩こうとしたら、アメリカのマーシャル特使が行ってストップをかけた。蒋介石は、(今ならやっつけられるのに)と地団駄を踏んだが、やむなく8~9カ月停戦することになり、この間に満州に進んだソ連軍が日本軍から得た武器を中共軍に与えて訓練し、近代戦を戦えるようにした。これは、蒋介石を見限ったアメリカが、中共を助けて支那の代表にしようとしたから。

 

 F・D・Rからトルーマンに到るまで、アメリカの民主党政権は「容共」であった。

 スターリンがアメリカとの戦争準備を始めたため、ソ連と衝突するようになり、そこからこれまでの共産党を援助した歴史を消して、あたかもはじめから「民主主義」「反共」であったかのような顔をして戦後を過ごしている。

 

 蒋介石の「以徳報怨」演説には、いまだに感謝する日本の政治家が多いのだが、なぜそうなのか。

 

 蒋介石は、日本軍に居残ってほしくなかった。蒋介石は、日本軍が蒋介石を恨んでいると思い、もしかすると日本軍は中共軍について蒋介石軍と戦い続けるのではないかと恐れた。それで、日本軍には早く帰れと言い、国民には、「日本軍に恨みがあるかもしれないが、報復すれば日本軍が留まって抵抗するので余計な手を出さず、ここはぐっと飲み込んで、恨みに対して徳を以て対応して、日本軍には安んじて早く帰ってもらおう」と説明した。

 

 これが「以徳報怨」演説の真相だ。蒋介石は徳のある政治家でもなんでもなく、策略家であったというだけのこと。

 

 

 

 

 

 

 

講演2  「私の台湾に感じるロマンと課題」

 

河田悠輝 氏 (グラフィックデザイナー・専門学校教員。仕事を通して次世代に震災を伝えたり、商店街のお手伝いに参画したりしている。)

 

311では三宮でも揺れを感じた。阪神淡路大震災も経験しているので、大変なことが起きたと実感した。

 この直後に、台湾で「相信希望 ~ファイト オー スマイル~」 というチャリティ番組が放映され、生放送中に21億円が集まった。(相信希望の番組は今もYouTubeで見られる。)

日本で自分が何もできていないのに、台湾の人がわずか一週間で我が事のように動いている。このことに大きな感動を覚えた。

 

 

台湾に興味を持ったきっかけ

 

若い頃、仕事で中国の大連に派遣され、外注先の会社でスタッフの指導にあたった。このとき、中国で流行っていたメイデイ(Mayday 五月天)というグループの音楽CDを買ったが、あとで台湾のバンドだということを知った。他にも台湾の人気グループがたくさんあって、これが、台湾に興味を持ち、好きになるきっかけになった。

 

現在、専門学校の教員をしている。

授業ではキャリアデザインやグラフィックデザインについて講義している。

 

最近教員間で話し合われているのはシンギュラリティ(技術的特異点)について。

A.I.が人間を超えるのは何年になるだろうか?

2020年には、大きな教育改革が行われ、大学入試のスタイルも大きく変わる。150年ぶりの地殻変動とまで言われている。

 

A.I.時代が来ると、自分で考えて行動できてアイデアを形にできる、機械に仕事を奪われない人材が必要になる。

なので、そういう人材を育てることが必要とされている。

 

 今の19歳や20歳の学生の特徴は何かというと、同級生で共通の話題がないということ。同じテレビ番組は見ていなくて、話し出すきっかけがない。また、好奇心や他者への関心が少なくて、チャレンジしようとする心が薄い。

失敗を極端に恐れたり、コミュニケーションが苦手だったりする。(特に、人とのやりとりはLINETwitterなど文字がベースで、あまり人と話さないのが特徴。)

 

 これからは、単純作業や、パターンの読み込みはA.I.がやるようになる。

その人が何に困っているのか、人の感情を読み取るような仕事のニーズが増える。

自分の経験や体験に価値がある時代になるので、子供や学生達にはどんどん挑戦してほしいと思っている。

 

 

  学生達は台湾のことを知らない。

 

  台湾の学生、若者達は、政治と関わり、政治に参加しようとしている。このことに、自分自身や日本の学生との差を感じた。 

台湾人には台湾人というアイデンティティができているのと比べると、自分達はヤバイのではないか。

 

自分の経験では、台湾の歴史を知ることが日本の歴史を知ることにつながった。

台湾を好きになってよかったと思う。

 

最近、修学旅行の行き先として台湾がトップになった。

最初は観光や食という接点から入るとしても、歴史にも関心をもってもらうことが大事だと感じている。

 

台湾では、朝市が好き。エネルギッシュでわくわくする。

映画館も安くていい。台湾映画の「KA.NO」もよかった。台湾の映画館で台湾の観客と感動を共感できた。

台湾のCDショップでは、CDケースのフォーマットがばらばらで楽しい。

 

  台湾では、手間暇かけて結婚写真を撮ることがふつうだが、自分も高雄で結婚写真を前撮りして、懇丁で挙式した。家族にも喜んでもらえてとてもいい経験になった。

 

先日大きな地震被害が出た花蓮は、海と山が近くて立地が神戸に似ている。

募金の動きが出てきているが、本当は少し落ち着いてきたら、花蓮に行って現地にお金を落とすのがいちばんいい支援方法かもしれない。

 

 

  台湾浪漫」 という名前のブログを作って公開している。

 

しかし、自分が台湾について伝えたいことは、これまでブログで紹介してきたグルメなどの話題とはちょっと違うような気が、最近してきた。

今後は本当に自分が伝えたいこと、自分にしかできないことをしていこうと思う。

 

 

 


当日の講演会の様子

当日は謝課長、下村教授からもご挨拶、お話を賜りました。

台北駐大阪経済文化弁事処総務課長の謝様からご挨拶を賜りました。

下村先生からも言語からのアプローチと言う視点で短時間ですが興味深いお話を頂きました。



お越し頂いた皆様、有り難う御座いました。

次回もお楽しみに!

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